「就活イエス」は、
イエスを信じる人たちの、
「就活」「働き方」に迫っていくインタビュー記事です。
シリーズ第9弾は、鈴木百合香さん!
【Profile】
名前:鈴木百合香(Yurika Suzuki)
生まれ:1993年
出身:神奈川県横浜市
職業:障害者施設支援員
- ▼失敗からイエスとの出会い
- ▼貧困国の支援者を目指していたが・・・
- ▼内定をもらったが・・・
- ▼ギリギリに決まった就職
- ▼キラキラ海外から雑巾の世界へ
- ▼聖書のメッセージを語る機会が与えられ
- ▼置かれた立場で福音を伝えたい
ゆりかめっちゃ久しぶりだね。6年ぶりとか?
覚えてないぐらい昔だね(笑)
今はどんな仕事をしているの?
今は、知的障害者の方の施設で働いているよ。障害者施設の支援員というのかな。
そうなんだ。具体的にはどんなことをするの?
1年目はグループホームの世話人という立場で、掃除、洗濯、料理といった、利用者さんの生活を支える仕事をしていたよ。一言で言えば、「お母さん」になるみたいな仕事かな。そこの施設には6人ぐらいの障害者の方が住んでいて、おかえりなさいから、いってらっしゃいが私の仕事。
へぇ! お母さんみたいって、分かりやすい。今は違うの?
2年目からは、もっと大規模な「通所施設」(ホームではなく、通いの施設)に異動になって、今は60人ぐらいの利用者さんを職員20人で支援しているっていう感じかな。健康チェックとか、ウォーキングをしたり、ダンスやレク。班に分かれて作業もするから、私は今キャンドル班でろうそく職人してるよ(笑)
ほ~~。似たような施設に会社の研修で行ったことあるなぁ。
そうなの? どうだった?
ぶっちゃけ、めっちゃ大変そう・・・
確かに最初は本当に大変だったよ。
資格とか必要なの?
いや、特にないよ。ただ、「社会福祉士」や「介護福祉士」の資格があると就職は有利かも。
どうして目指したかとか、いっぱい聞きたいことあるので、ゆっくり聞かせてください!
▼失敗からイエスとの出会い
↑高校3年の時のキャンプ
ゆりかはどうやってイエスを信じたの?
私の母方の家族は、ひいおじいちゃんも牧師、おじいちゃんも牧師といった感じで、クリスチャンの家庭だったんだよね。私で5代目。私の父親はクリスチャンではないんだけど、小さい頃から教会は両親と妹と一緒に通っていたよ。
じゃあ物心ついたときから信じていた感じ?
いや、ちょっと違うかな。最初は聖書の話はストーリーのようなものとして捉えていた感じ。心から信じたのは高校になってから。
どうやって信じたの?
高校1年の時に生徒会に入ったんだけど、そこで、とあるミスをしちゃって。今思うと大したことないんだけどね。提出物を出す期限を間違えてたみたいな。だけどその時はめちゃめちゃショックで。
確かに、当時はそれが全てだもんね。
そうなの。その時に、「ああ、今まで自分は自分の力で生きていたんだ」って気が付かされたんだよね。それで、泣きながら聖書を読んだら、「主はあなたの羊飼い」(詩篇23:1)っていう言葉が出てきて。ああ、神様は私を導いてくださっている方なんだって気がついた。それで今までただの物語だった聖書が、リアルに自分の生活に関わるものになったかな。それで信じた。信じてすぐにバプテスマを受けたよ。
それが16歳のとき。
そうだね。
失敗という経験を通して、神様が語りかけてくれたんだね。
▼貧困国の支援者を目指していたが・・・
↑大学時代の友人と
それで、今のような仕事はその頃から目指していたの?
いや、全然(笑)
全然かーい!
そう。実は、興味があったのは貧困国の支援。小学校の頃から、友達に呼びかけて、自主的に募金活動のためのフリーマーケットをひらいたりもしたよ。
小学校からその行動力、すごいね!
水が飲めない人がいるとか、食べ物がなくて死んでいる人がいるっていうのを聞いて、自分も何かできないかなと思っていたんだよね。それで考えたのがフリーマーケット。少額だったけど、自分ができる小さなことで、世界の人を助けられるという感覚がすごく嬉しくて。小学校の作文でも「将来はユニセフで働きたい」って書いたりしてたな。ユニセフしか知らなかったからなんだけどね笑
なるほど。弱い人を助けたいという思いがあったんだね。
そうだと思う。それで、ICU(国際基督教大学)を目指したよ。ICUは、平和研究や開発研究も盛んだし、国際関係学のコースもある。幅広く学べるし、この大学いいなぁって思ったんだよね。
↑大学時代のサークル仲間と
だけど、結果的にはそっちの道には進まなかった?
そう。大学に入ったら衝撃で。それまでは、「自分はクリスチャンだから、貧困の問題に立ち向かいたいと思うんだ」と思っていたんだけど、全く違った。大学には、クリスチャンじゃなくても、世界の貧困や社会問題に立ち向かいたいと思っている人が大勢いたんだよね。当たり前だけど(笑)
そりゃそうだ(笑)
それに気がついた時に、自分がしたいのは貧困問題を仕事にすることじゃないって思ったんだよね。
というと?
例えば、ユニセフに入っても、大きな歯車の一部にしかならない。自分が支援したいのは、目の前で泣いている人なのに、組織に入ると、どうしても現場の人たちに支援が行き届くまで、時間がかかってしまうんだよね。それに気がついた。目の前の1人を支援したいのが、私の思いだったんだよね。
ナルホド。例えば、貧しい人たちを支援したくて団体に入っても、経理部に配属されたら、日々向き合うのは人間じゃなくてエクセルになっちゃうもんね。
その通り。もちろん、組織としてはその仕事もすごく大切なんだけど、私としてはもっとダイレクトに神様の愛、「福音」を伝えるスタイルがいいなと思ったんだよね。単純に社会的な支援をするよりも、福音を伝える方がいいなと。それが大学1年目ぐらい。
大学時代って人生の方向性を定めるいい時間だよね。
▼内定をもらったが・・・
↑旅行したイスラエルで神の導きを求めた。
それからどうやって今の仕事につながったの?
実は、今の仕事はやりたくて始めたわけじゃないんだよね。本音では海外宣教師になりたいと思っていて。ICUは卒業後、海外に行く人も多かったから、自然と海外に行きたいなという思いが強くなっていった。イスラエルの大学に留学するっていうのも真剣に考えていたんだけどね。でも、親に相談したら、親はまず日本の社会で働いた方がいいっていう意見だった。
それで就活をすることにしたの?
そうなんだよね。でも本心では海外に行きたい! って思いが強かったから、乗り気にならなくて。実はほとんど受けなかった。ほとんど一本釣りで、「日本郵政」に内定をもらったんだよね。
へぇ! すごいね。興味あったの? 郵便局。
いや、正直、土日しっかり休めて福利厚生がちゃんとしてる・・・って考えて決めた感じ(笑)
すげーな。狙い撃ちだね。面接ではどんなこと話していたの?
正直、面接はすごく楽しくて、自分の人生を単純に語っていた感じ。最後の面接では、「どうしてそういう考えになったんですか?」と聞かれて、よっしゃ! 福音伝えるチャンス! って思ったよ(笑)
へぇ・・・で、すごく気になるんだけど、内定もらっていたのに、どうして今その仕事じゃないの?
うん。実は、10月1日の「内定式」に行かなかったんだよね。
え!!!
当日の朝までは、行くつもりだった。本当に。でも、朝、聖書を読んだら、「キリストは、その口に何の偽りも見出されなかった」(1ペテロ2:22)と書いてあったんだよね。つまり、イエス・キリストは嘘はつかなかったということ。
うんうん。
内定式に行くってことは、「私は4月からこの会社で働きます」って言うことじゃない?
まあ、そうなるね。
そう考えた時に、「本音では海外に行きたいのに、この会社で働きたいっていうのは嘘じゃん!」っていうのに気がついてしまって。それで、どうしても行けなくなってしまった。そこで、会社に電話をして、「海外留学したいから内定を辞退します」って伝えたんだ。
えーー! 別に内定持ったまま進路決まってから断ればいいのに。
そうなんだけど、どうしても自分の中で納得がいかなくて。
10月1日はどうしていたの?
これから先どうしていこうかっていうことを、ずっと祈っていた。もちろん、神様が一番良いところに導いてくれるとは思っていたけど、自分がやりたいことは明確にならなくて。本音では、宣教師になったり、とにかく外国に行きたいと思っていたんだよね。
でも、そうしなかった。
うん。それには理由があってね・・・
▼ギリギリに決まった就職
↑大切な家族と
どうして海外に行く道を選ばなかったの?
宣教師になりたいと両親に相談したときに、あまり色良い返事がもらえなかったんだよね。特に父親は日本で普通に就職してほしいと思っているようだった。父親はクリスチャンではないのだけど、家族の中に牧師や宣教師になった人が多くて、そういう人たちの苦労を見てきたから、自分の娘はそうなってほしくなかったみたい。
確かにまわりに苦労している人がいたら、娘にはその道に行ってほしくないとは思うよね。
だけど、最初は私も自分のやりたいことを主張したんだよね。だってそのために内定も蹴ったんだし。だけど、父親はそれを受け入れてくれなくて、だんだんと親子関係がこじれてきちゃってね。最後は本当に冷戦状態だった。このままの状態で、もし仮に無理やり海外に出ていったら、もう家に帰ってこれないような気がしたんだよね。だから、その状態から早く抜け出したいっていうのが正直なところだった。
どうやって今の就職先に決まったの?
ぶっちゃけ言うと、紹介。3月29日に決まって、4月1日に働き始めたよ。
うわ、急転直下。
そう。最後に就職が決まった時は、正直言って悲しかった。自分は海外に行きたいと思っていたのに、結局地元でやりたかったわけでもない仕事をすることになったからね。最終面接の日も泣いてた。だけど、その時に教会に行ってピアノを引いて賛美の歌を歌っていたら、新しい曲がスラスラっと出てきて。心が落ち着いた。その時できた曲には、後で「大切なあなた」ってタイトルをつけたよ。
▼キラキラ海外から雑巾の世界へ
↑教会では賛美の歌のレコーディングもしている。
仕事を始めた後はどうだった?
正直、本当に大変だった。それまで、ICUでパソコンをパチパチやって、海外に行くぞというキラキラした世界から、一転、真逆の世界。一番使う道具は雑巾だし。暗くて狭いグループホームでひとりぼっち。利用者さんが失禁したのを掃除しなきゃいけないし、匂いとかもすごい。そんな世界で働かなきゃいけなくて、とても楽とはいえない世界だったよ。
ひえ~。想像を絶するね。
それでも、3ヶ月ぐらいすると、慣れてきて、6人の利用者さんの世話人という立場で働けるようになってきた。利用者さんたちも、今まであまり接してきたことのない人たちだった。施設に入れるような人だから、ある程度お金を持っている人が多いのだけどね。
よく考えてみたらそうだね。
着ている服がイヴ・サンローランとか高級なものなんだけど、それを失禁したマットを洗っている洗濯機に一緒に入れたりするんだよね。自分としては衝撃だった。世の中の価値観に生きていない彼らの姿に衝撃を受けて、学ぶことも多かったよ。
じゃあしばらくしたら慣れてきたんだ。
いや、実は1年目の夏から、少し大変なことがあってね。
何があったの?
グループホームでは、スタッフが私1人の時間が多かったんだけど、利用者さんの方が私に対して、ひどい他害行為するようになってしまって。こういう施設では珍しくないことなんだけど、毎日殴る、蹴る、つばをかけるみたいな。
えええ?!
毎日、20ヶ所以上のあざを作って帰っていた時もあった。でも、1年目でこれが特別ひどいということは分からなくて、相談もできなくて苦しかった。だんだんと、施設の方でもサポートしてくれるようになったけど、その1年間は辛かったな。でも、その中で、イエスさまの愛を思い出したんだよね。それまでは自分はどんな人でも愛せると思っていた。だけど、人生で初めて「愛せない」ということを体験したんだよね。だけど、イエスさまは私たちのために死んでまで愛してくれた。改めてイエスさまの愛の大きさを感じたよ。
いや・・・ちょっとコメントできないくらい大変でしょ・・・その中でもイエスさまの姿を見失わなかったのは本当に幸いだね。
▼聖書のメッセージを語る機会が与えられ
↑職場で利用者の方々と作っているキャンドル
その状況から脱出できたの?
いや、実はその状況は続いたんだよね。2年目の4月にもっと大きな施設に異動になって、それで助かったという感じ。
良かったねぇ。
2年目の4月からは、今の60人ぐらいの通所施設で働くようになったんだよね。キリスト教の施設なので、月曜日と金曜日は、利用者さん全員で礼拝の会を開いているんだ。そこで、聖書の話を職員全員の持ち回りですることになって。そこで初めて、福音を大胆に60人の利用者さんと20人の職員の前で語れるようになったんだよね。
おお。直接語れる機会は嬉しいね。
そう。最初にできたときは本当に嬉しかった。1年間は闇の時代だったけど、ずっと地道に耐えてきて、ようやくチャンスが与えられた感じ。ずっと祈ってきたから、すごくやる気になった。「私はすべてのことを、福音のためにしています」(コリント人への手紙第一 9:23)という、聖書の言葉が心に響いていたよ。毎日の積み重ねが、この結果に繋がったと思った。普通の企業じゃこういう直接福音を語るっていうのは難しいけど、キリスト教の施設だからこそできることかなぁと思うよ。
耐えて、耐えてきたからこそ、与えられたチャンスだね。
それだけじゃなく、私に対して他害行為が出ていた方が、その1年後にバプテスマを受けることになってね。
ええっ、そうなの?
そう。神様は全てを変えて益としてくださるというのを、目の前で見せられた形だよ。
いやぁ、神様のやることはいつも面白いね。
この仕事をして分かったのは、どんな人でも一緒に過ごして、月日を重ねるたびに人間関係ができてくるってことなんだよね。最初は、利用者さんのマイナスな面ばかり見えてしまうんだけど、だんだんと関わることによって、信頼関係が生まれるんだよね。そうすると、だんだん、利用者さんの意味の分からないこだわりさえも、その人自身の個性だと思えてきて、愛おしくなるんだよね。それが愛が生まれる瞬間。愛せない人を愛せるようになると体験できた瞬間だったよ。
▼置かれた立場で福音を伝えたい
クリスチャンだから今の仕事で他の人と違うなと思うことはある?
イエスさまの名前で祝福できるところかな。利用者さんが、神様につくられた者だとして価値ある者だと思えるところ。イエスさまが死んだほどの価値がある者だもんね。あと、利用者さんが病気や怪我をしたら、イエスさまの名前で祈れることは特権かな。でも、これは本当にそうなんだけど、彼らをサポートしているはずなのに、気がついたらいつも彼らから愛をもらっていることが多いんだよね。
それは僕も震災のボランティアとかで感じたなぁ。助けに行っているはずなのに、逆に助けられるという。
今後のビジョンは?
大きいビジョンとしては、全世界に福音が伝わることが一番の願い。その中で、自分に任されたことをやていきたいな。形にとらわれず。
まだ海外に行きたいという気持ちはある?
うん。イスラエルへの留学も考えているけど、まだちょっと具体的にはなっていないかな。神様の導きを求めて祈って、待っている段階。でも、立場とか、どこにいるとか、あんまり重要じゃない気がしてきていて。
というと?
毎日ちゃんと仕事をして、その中で人間関係、信頼関係を作っていく。今置かれた立場で、神様のことを語って、福音を伝えていくというのが、大切じゃないかなって思うんだよね。外からゲストで来た人が何を言っても、結局は「外の人」。だけど、いつも一緒にいる「中の人」が真剣に信じている神様の姿を伝えるのが大事だなと思ったな。
それすごく共感するな。「牧師」とか「宣教師」とか、立場にとらわれず、いつでもどこでも、何しててもそれが福音を伝える働きになったらいいよね。
福音を伝えることが生きがいでしょう。そうしてなかったら生きてる意味なくない?!
パウロみてぇだな。
最後に、いつも心にとめている聖書の言葉を。
この言葉かな。
しかし、私たちは私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
(ローマ人への手紙 8:37~39)
どんなことがあっても、神様の愛から離されることはない。身をもって体験しました。
自分が思い描いた将来じゃなくても、神様の愛は離れない!
肩書きより、神様の愛から離れない生き方が大事。神様と共に歩む方がずっと価値がある。
その通りだね。神様を見続けて歩んでいってください!
(おわり)
◆このブログの筆者の小林拓馬は、現在、完全オンラインのプロテスタント教会「クラウドチャーチ」の牧仕として活動しています。
◆小林は、Podcast&YouTube「まったり聖書ラボ」でも発信中!
※この記事の聖書の言葉は、特に断りがない限り、<聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会>から引用しています。