【就活イエス10】「先生、『イエスの十字架』歌って!」能城黎@中学・高校教師
「就活イエス」は、
イエスを信じる人たちの、
「就活」「働き方」に迫っていくインタビュー記事です。
シリーズ第10弾は、能城黎さん!
【Profile】
名前:能城黎(Rei Noshiro)
生まれ:1991年
出身:東京都八王子市
学歴:東京学芸大学卒業
職業:中学・高校教師
- ▼教えるのが好きだった
- ▼心配ないよ、絶対大丈夫だよ
- ▼「気づかなかった」と「もうふりむかない」
- ▼神様からの幻を見て
- ▼必要だった回り道
- ▼母校に再チャレンジ
- ▼「先生、イエスの十字架歌って!」
- ▼夫婦としてのフィールドを求めて
のっしー(のしろ、なのでのっしー)久しぶり。
久しぶり。
改めて、今はどんな仕事をしてるの?
自分の母校でもある、都内の私立の中高一貫校で教員をしているよ。今年で6年目。
へぇー! 母校で教えるって感慨深いね。国語の先生だっけ?
そうなんだけど、ちょっと特殊で。今勤めている学校は、「国際学級」というのがあってね。帰国子女とか、外国籍の生徒を授業から「取り出し」て、国語を教えているよ。
「取り出す」とは?
生徒一人ひとりの言語レベルに応じて、個別に教材を渡してるんだ。普段は普通のクラスにいる生徒さんも、言語レベル的に個別指導が必要な教科は、「国際学級」で個別に対応してるよ。
つまり、一人ひとりに個別の時間割があるっていうこと?!
その通り。うちの学校は、国語、数学、理科、社会、英語の授業で「取り出し授業」に対応してる。理科や社会までやっている学校は珍しいんだよね。
へぇ~~、電車のダイヤみたいに複雑な時間割になりそう・・・
それだけじゃなくて、日常会話が分からない子たちのための日本語コースもあるよ。日常会話が問題ないレベルの子たちのためは、もう少しハイレベルな国語のコースもあって、僕はその国語のコースの担当。
国語を教えてるんだね。今日はじっくり話を聞かせてください。
▼教えるのが好きだった
↑高校時代
そもそも、なぜ先生になろうと思ったの?
クリスチャンだからとか全然関係なくて、単純に「教える」っていうのが昔から好きだったんだよね。
シンプル。
そう。例えば、テスト前に勉強についていけていない友達のために、黒板を使ってミニ授業をやっていたときもあったんだよね。
生まれついての先生体質・・・! じゃあずっと先生になりたかったの?
いや、本格的に教員になろうと思ったのは、高校2年生から3年生ぐらいかな。進路を決めなきゃいけない時期。それまでは、野球とか、スポーツをずっとやっていたから、スポーツ学科とかに行って、整体とかマッサージの世界に行こうかなとも思っていた。でも、その時期に「自分は教えるのが好きなんだ」と気がついて、本格的に教師を目指そうと思ったよ。
英語が得意なんじゃなかったの?
いや、英語はむしろ嫌いだったんだよね(笑)小学校の時にアメリカに2年住んでいたから、一般の日本人よりは英語ができたんだけど、僕が通っていた中高は、帰国子女ばっかり。しかも、入学時のクラス分けテストで思いがけずいい点を取っちゃったから、ハイレベルな英語のクラスに入れられてしまって。まわりは中学校で英検1級とか、そもそも家庭では英語でしゃべっているとか、海外に10年住んでましたみたいな人ばっかり。
それはきっちいなぁ・・・
どう頑張っても5段階評価の3しか取れない。だから英語は好きになれなかったんだよね(笑)。だから、最初は社会科の教師を目指そうと思った。
国語じゃないんだ?
そう。社会科が好きだったから。それで、部活の顧問の先生に相談したら、その先生には、「社会科の教員は、なりたい人が多いから狭き門だよ」と言われてね。
そうなんだ。
教員の採用って、そのポジションに空きが出ないと採用がないんだよね。確かに社会科は人気だから厳しいなと思って。たまたま野球部の顧問の先生が2人とも国語の教員だったというのもあって、「国語はどうだ?」と勧められたのがキッカケで、国語教師もアリだなぁと考え始めた。
それで進路を決めたんだ。
そう。その先生の1人が、東京学芸大学に、小学校の日本語教育コースが新しくできるってことを教えてくれた。「推薦入試にトライしてみないか?」と背中を押してくれたんだよね。
▼心配ないよ、絶対大丈夫だよ
↑大学のサークル(CCC)時代。
推薦入試は、どんな内容だったの?
小論文と面接。それまでは私立文系を目指していたから、急な方今転換だったんだよね。だけど、ひたすら論文書いて対策したよ。
何人ぐらい受かったの?
合格枠は2人だった。
2人?! それって実は社会科教師になるより狭き門なんじゃぁ・・・
だよね(笑)。途中でそれに気がついて間違えたなぁって(笑)
その通りすぎる(笑)
自分は学校の成績は良かったんだけど、もっと高いレベルの高校はたくさんあるし、そこからも受験生がいるだろうから厳しいかなとは思ってたんだよね。だけど、海外で暮らしたことがあるっていう自分の人生には、その日本語学科のコースはピッタリだったし、アピールできるなっていう点もあった。
確かに、新しいコースだったら狙ってくる人もいそうだね。
倍率は3.5倍ぐらいだったんだよね。だけど、受験が終わった後、本当に不思議なんだけど、自分の人生の中で初めて根拠のない自信に満ち溢れたんだよね。心配ない。絶対大丈夫だっていう気持ちになった。これは神様がくださった安心感だなって思ったかな。
ほ~~。面白いね。
だけど、結果が出る前に自信満々で大丈夫とか言って、違ったらイヤだからおおっぴらには言わなかったんだ。結局、心配していたのは母親だけ(笑)そのときに、「ああ、これが神様が一緒にいるという、心の平安なんだ」という確信をしたよ。これは自分の中ではすごい体験。
そうやって大学に入って、どういう大学生活を過ごしたの?
大学時代は、ひたすらクリスチャンの集まりを企画したり、参加したり。CCC(※キャンパス・クルーセード・フォー・クライスト)っていう団体や、「超教派」(※教団や教派、グループなどの枠組みを超えたクリスチャンたちの集まり)の集会に、これでもかっていうほど参加したよ。音楽をやっていたから、集会でギターをひいて賛美の歌を歌うことも多かったな。あとは聖書をじっくり学んだり。
確かに、のっしーは大学時代、クリスチャンとしての活動をしまくってたイメージがあるな。
▼「気づかなかった」と「もうふりむかない」
↑高校時代の仲間たち(いまの奥様も・・・)
そもそも、のっしーはどうやってイエスを信じたの?
僕の父親は牧師で、ずっとクリスチャンの環境で育ってきたんだよね。アメリカに住んでる時も、クリスチャンが多い町だったというのもあって、クリスチャンっていうのは普通のことだった。でも、日本に帰ってきたときに、「クリスチャンだから」とか、「牧師の息子だから」という理由で、友達から軽くイジられることもあった。その時に初めて、日本って違うところなんだと感じたかな。
確かに、日本だと完全アウェーだよね。
それだけじゃなくて、通っていた教会も小さな教会だったから、途中まで、日本には若いクリスチャンが全くいないと思い込んでもいたんだよね(笑)高校に入って、「Hi-ba」(ハイビーエー)という高校生のクリスチャンの集まりに行って、初めて同世代のクリスチャンに会って、ビックリしたよ。
聖書に出てくる預言者エリヤみたい(笑)
(※預言者エリヤは、神様に従う人が全くいない状況で、うつ病的になってしまった)
そうそう。そんな感じ。その頃から、初めて自発的に神様のことをもっと知りたいと思うようになったかな。自分で聖書を読むようになって、初めて全部読んだ。それで、高校3年生の時に行ったクリスチャンのキャンプで、2つの賛美の歌を歌って、それが衝撃的で。
なんていう曲?
「気づかなかった」と「もうふりむかない」っていう曲。その2曲をエンドレスでひたすら繰り返して歌ったんだけど、その歌の中で、自分がどれだけ神様の愛に気がついていなのか思い知って。どれだけ神様の呼びかけに、自分がふりむいてこなかったのかと感じた。その歌を歌っている中で、神様の愛に気が付かされたし、もう過去を振り返らないと思ったんだよね。そしたら、人生で初めてぐらいの勢いで号泣して。自然と涙が溢れて。これが神様の愛なんだと感じた。それが自分の中で一番印象に残っている出来事かな。
文化としては触れていたけど、そこで初めて、神様の愛を「体感」したんだね。
うん。もうバプテスマも受けていたし、教会にもずっと通っていたけど、その時に初めて個人的に神様の存在を強く感じたかな。
▼神様からの幻を見て
↑大学卒業のとき
ところで、気になっていることがあるんだけど。
何?
大学では、小学校の日本語教育コースに行ったんだよね?
そうだよ。
じゃあ、なぜ今は中高一貫校の先生をしているの?
コース自体は小学校教育だったんだけど、追加で単位を取れば、中高の免許も取れたんだよね。
それは、母校で働くために?
いや、どうせならと思って。母校で働きたいと思ったのは、大学3年生のとき。実は、その頃、進路選択で、本当に教師になるか、神学校(聖書などを学ぶ大学院)に行くか迷っていて。
どうやって決断したの?
祈りの集会の時に、「神学校に行くように神に導かれていると感じる人は、前に出てきてください」と言われた時に、前に出ていこうと思ったんだけど、なんとなく「違うな」と感じて、行かなかったんだよね。それで、「神様、僕はどのような進路に行けばいいですか」と真剣に祈ったんだよね。その時に、ある幻が見えて。
まぼろし~?!
うん。目をつぶっているときに、自分が通っていた学校が、上からフカンするように見えた。最初は暗かった学校に光が灯って、それがだんだんと広がっていく・・・そんな幻、ビジョンが見えたんだ。
すごい。かなり具体的な幻だね。
その意味はなんだろうと考えながら、聖書をひらいたら、「もし一粒の麦が落ちて死ねば・・・」という言葉を見つけたんだ。
まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。
その時に、自分がその学校に赴任して、そこで一粒の麦となるという未来を感じ取ったんだ。そこで、母校で教師になるっていう決心をしたんだよね。
ワオ。ビジョンを見て、聖書の言葉に導かれたら、もう従うしかないね。
そうなんだけど、実は、4年生になるまでまだ迷ってた。そうこうしているうちに、これは本当に僕のミスなんだけど、気がついたら都立の教員採用試験の申し込みの締め切りが過ぎていたんだよね(笑)
あら(笑)でも、母校は私立だよね?
そう。だからまだ残っていたんだけど、私立はポストに空きが出ないと募集がかからない。大学卒業間近になっても、まだ募集がかかっていなかった。だから、また神学校に行くか迷ってね。今度は、別の集会で、また同じように「神学校に行きたい人は、前に出てきてください」と言われたときに、前に行こうとした。
そしたら・・・
そしたら、立ち上がった瞬間に、ものすごい心理的なプレッシャーを感じたんだよね。直感で、違うというのが分かった。それで、座って、神様の前に反省して、今度こそ神様に従いますと決心した。その後は、心に安心があったかな。
▼必要だった回り道
↑同僚の先生方と
その後はどうしたの?
そうやって、決心したタイミングで、なんと卒業する直前の3月の半ばに、母校の教員採用の募集が出たんだよね。これは行くしかないと思って、受けた。絶対受かる自信があったんだよね。このタイミングで、決心して、道が開かれて。これは神の計画だろうと確信があった。
結果は・・・
そこまで自信があったのに、落ちた。
まじか。どんな気持ちだった?
神様、なんで? っていう気持ち。その後は、他の私立も全然募集がかからなくて、卒業して、4月になっても就職が決まってなかった。臨時の教員採用の募集に登録して、最初は所沢の学校に週に1回だけ教えに行っていたかな。だけど、それだけじゃもちろん食べていけなかったから、空いている日は、アーク引越センターでアルバイトをしてたよ。
神様に従うって決心した直後に、そんな苦しんだらキツイよね。
うーん。まぁ、ポジティブすぎるのかもしれないけど、神様は何か理由があってこの道を通らせているのかなとも思ったかな。むしろ、今の妻、当時の彼女だけど、彼女の方が僕の将来を心配してたかも(笑)
結婚を考えていたら、相手の仕事の状況は気になるよね。
結局、その後で、東京都のあきる野市ってところの公立中学校で、非常勤で働けることになった。産休の先生の代わりで1年限定でね。自分が学んできたのは小学校だし、ビジョンは母校でっていうことだったけど、その時はこだわっていられなかった。
挫折って感じでもなかった?
いや、それはあるよ。人生で初めての挫折を味わったって感じだったかな。高校入試も帰国子女枠だし、大学も推薦。順調な人生で、初めての挫折だった。でも、今思うと、教師として働く上で、挫折した経験がなかったら、人の辛さにより添えなかったと思う。最初は、「神様、なんで?」と思っていたけど、実は必要な回り道だったんだよね。
確かに。でもそれにしても大きな挫折だよね。辛いよなァ。
今思うと、あきる野市での公立学校の経験も、埼玉の私立の学校の経験も、絶対必要だったと思う。神様は、やっぱり理由があって、この回り道をさせたんだと今になっては感じるかな。
▼母校に再チャレンジ
↑学校の礼拝の式の日
東京の公立の学校で1年、埼玉の私立で2年働いたんだよね。
そう。仕事も慣れてきて、経済的にも安定してきたから、正直いって、このままでもいいのかなとも思った。
そこから、また一歩踏み出して母校の採用を受けた理由は?
なんかね、さっき話した幻・ビジョンがなくならなかったんだよね。かつて、牧師をしている父親に、「神様からのビジョンか、そうでないか、どうやったら分かるのか」と質問したことがあるんだけどね。父親は、「一概には言えないけど、神様からのビジョンは、何年経ってもなくならないよ」って言ってたんだよね。その通りに、母校に行って働くというビジョンは、ずっと心の中にあったんだよね。
ナルホド。神から与えられた思いは、なくならない・・・か。いいアドバイスだね。
母校からの募集は、落ちてからは1回も出てなかったんだけど、3年後の2017年に出た。そこですぐに受けて。試験では落ちた時と全く同じ古文の模擬授業をやったんだけど、すんなり受かった。
母校に行ってどうだった?
もちろん、すべて順風満帆ではなかったかな。正直言うと、給料面でも以前の方が良かったし、今の学校は土曜日も授業があるから仕事は忙しくなった。妻も、当時、僕の仕事にあわせて土日休みの仕事を選んでくれていたから、「なんでもっと深く考えなかったの?!」と言われたしね(苦笑)あとは、埼玉の田舎の学校と、東京都内の学校の雰囲気の違いもあって、その違いに最初は戸惑ったかな。
仕事環境の変化は、すぐには慣れないよね。
うん。だけど、遠回りした3年間は無駄じゃなくてね。経験という意味でもそうなんだけど、僕が遠回りをしていた3年間、母校は経営陣が変わったり、いろんな先生たちが辞めていったり、移行期で大変な時期だったらしいのね。その難しい時期を避けられたという意味合いもあるのかなと思ってるよ。
▼「先生、イエスの十字架歌って!」
↑クラスの生徒たちと
先生の仕事は楽しい?
めっちゃ楽しいよ。
やりがいはどんなところ?
子どもたち1人ひとりの人生に関われるというところかな。その子の成長や変化を、間近で見られる。あとは、キリスト教主義の学校だから、毎週月曜日に礼拝があって、そこで学期に1~2回くらい、聖書の話をさせてもらう機会もあったんだよね。堂々と、ストレートに聖書の話ができるっていうのはいい機会かな。
その立場は最高だね。
あとは、子どもたちを励ませることかな。帰国子女の子とか、外国籍の子は、アイデンティティに苦しんだりもしているんだよね。「なんで自分が生きているのか分からない」とか相談してくれた子もいて。そういう時は、「そうだよね、迷うよね」と受け止めてから、「僕もそういう時があったけど、聖書を通して生きている意味を見いだせたんだ」といって話せる。落ち込んでいる子とかにも、お祈りしてるねとか言ったりもできるかな。
中学、高校生ぐらいの子って割と素直だよね。
そう。結構質問してくるよ。「十字架にかかったら何日ぐらいで死ぬんですか?」とか。一番おもしろかったのは、「なんでイエスは十字架にかかったんですか?」って。
福音そのもの(笑)
そう。そこから福音の話ができる。いつも意識しているのは、これまたヨハネの福音書だけど、この言葉。
あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。
もしかしたら、僕がこの子が人生の中で出会う、最後のクリスチャンかもしれない。そう思ったら、僕の言動が全てこの子の人生の中に「残る」んだろうなと思って接しているよ。
福音を隠さず、賢く伝えているのっしーの姿、励まされるな。
あと、面白かったのは、今の中高生は、先生の名前で検索かけるんだよね。そしたら、学生時代にアップしてた賛美の歌を歌っている動画を、生徒がyoutubeで見つけたらしくて。その歌のタイトルが、「イエスの十字架」っていうんだけどね。
うわ。めっちゃキラーワード。
すごくない?! イエスだけでも、十字架だけでもなくて、「イエスの十字架」だよ?!(笑)一番大切なメッセージが伝わった。で、その動画見つけた子が、廊下で大きな声で、「先生! 『イエスの十字架』歌って~!!」って叫んだりしてね(笑)それで、生徒にも先生にも僕がクリスチャンってことが堂々と伝わった。向こうはからかってるつもりなんだろうけど、いい効果を生んだよね(笑)
いじられたはずが、結果として、のっしーがクリスチャンであることが、学校中に伝わったんだね(笑)
▼夫婦としてのフィールドを求めて
↑ご夫婦で。
自分がクリスチャンだから、できているなと思うことはある?
あまり意識したことはないけど、聖書の話になったときに、いろいろと聞かれることは多いかな。最近嬉しかったのは、自分が高校時代にお世話になった先生に、「能城先生の聖書の話、いつも楽しみです」と言われたことかな。こういう形でも、聖霊様が働かれるなんだなと感じたよ。先生によっては、「スピリチュアルなものと、キリスト教はどう違うんですか」と聞かれたりね。そういう話ができる機会があるのは嬉しいかな。
なるほど。堂々と語れるのは素晴らしいことだね。
今後のビジョンを教えてください。
教員として、今の学校に努めている以上、学校で福音が伝わっていくのが見たいな。どういう形で実現するかは分からないけど、それが僕が見たビジョンだから。
そうだよね。のっしーを通して、学校でイエスのことが伝わるといいなと思います。
もうひとつ祈っているのは、夫婦としての働き。夫婦としての共通のビジョンのこと。学校は、自分自身の働きのフィールドだけど、夫婦としてのフィールドは何か、これから求めていきたいなと思ってる。妻と僕が共通しているのは、人と関わることが好きっていうこと。今までは、目の前のことに必死だったけど、結婚して3年になるので、これから夫婦として何ができるか考えていきたいなと思うよ。
結婚したら、2人で1人、だもんね。これからのっしーの人生を神様が導いてくださるように、祈っています。
最後に、いつも握っている聖書の言葉があれば。
今年のテーマはこれかな。
聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない」
(ローマ人への手紙 10:11)
ただただ、神様に信頼するしかないなと思います。社会人になると、忙しくなるし、結婚すると、夫婦の時間もある。だけど、改めて神様との時間が大切で、神様に信頼していきたいなと思う1年です。
のっしーのこれからの夫婦としての活躍も期待してます! 今日はありがとう。
(おわり)
◆このブログの筆者の小林拓馬は、現在、完全オンラインのプロテスタント教会「クラウドチャーチ」の牧仕として活動しています。
◆小林は、Podcast&YouTube「まったり聖書ラボ」でも発信中!
※この記事の聖書の言葉は、特に断りがない限り、<聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会>から引用しています。