週刊イエス

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ここがヘンだよキリスト教!(イエスを愛する者のブログ) ※毎週水曜日更新予定※

【疑問】クリスチャンは何を基準に投票すれば良いのか?

参議院選挙、もしかすると衆参ダブル選挙が早ければ来月に迫っています。クリスチャンは何を基準に、どういう目線で投票先を決めれば良いのでしょうか?

 

 

▼どう政治に関わるべき?

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 夏の参議院選挙まで、あと約1ヶ月。巷では、衆議院を解散してのダブル選挙も囁かれている。衆議院を解散するのは総理大臣なので、解散するかどうかは、神と安倍さんしか知らない、まさに「神のみぞ知るセカイ」だが、テレビや新聞は、やれ「解散風」だの「やっぱり解散見送り」だの好き勝手に騒いでいる。

 そんな中、「クリスチャンは何を基準に投票先を考えれば良いのか?」といった疑問が寄せられた。確かに、投票というのは民主主義国会において、国民が行使できる重要な権利のひとつである。クリスチャンは、どのような基準で候補者を吟味し、投票先を選んだらいいのか。この時期だからこそ考えてみたいと思う。クリスチャンと政治については、以前、記事を書いたのでそちらも参考にしていただきたいと思う。

 

yeshua.hatenablog.com

 ちなみにいうと、私は現役の政治記者である自民党幹事長、総理大臣、野党各党の担当を歴任し、今も国会の最前線で取材をしている。おそらく現役では唯一のクリスチャン政治記者として、現場の肌感覚もふまえて、聖書の記載をもとに私の意見をまとめてみる。(※本記事は私個人の意見であり、私の所属する会社の主張とは全く関係がありません※)

 今回の記事は、基本的にはクリスチャン向けである。しかし、クリスチャンでない人にも、クリスチャンはこう考えているんだ、へー、ぐらいの感覚で参考にしていただけたらと思う。もちろん、私の意見がクリスチャン界の全てではないので、あくまでも一意見としてお読みいただきたい。

 

 

▼権力に対するクリスチャンの基本姿勢

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 まず、権力との向き合い方について聖書は何と言っているか。基本を抑えておきたい。権力に関する聖書の記述といえば、一番有名なのは次の言葉である。

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。したがって、権威に反抗する者は、神の定めに逆らうのです。逆らう者は自分の身にさばきを招きます。支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐ろしいと思いたくなければ、善を行いなさい。そうすれば、権威から称賛されます。(中略)同じ理由で、あなたがたは税金も納めるのです。彼らは神の公僕であり、その努めに専念しているのです。すべての人に対して義務を果たしなさい。税金を納めるべき人には税金を納め、関税を納めるべき人には関税を納め、恐れるべき人を恐れ、敬うべき人を敬いなさい。

(ローマ人への手紙 13:1~7)

 

 この聖書の部分の念頭にある「権威」はローマ帝国である。ローマ帝国はイエスの信仰者たちを迫害していたが、それでも使徒パウロはあえて「権威に従え」と言ったのであった。この部分は、一義的には「納税」と「法の遵守」を説いた部分である。エスも、同じように納税については「義務はない」としつつも、他の人々を「怒らせないために」納税の義務は果たす姿勢を示した。イエスは、ユダヤの神殿税の正当性は否定したが、それでも一国民としての義務は果たしたのである(※マタイ17章、22章など参照)。

 このように、クリスチャンの政治に対する基本姿勢は「権力への基本的な従順」「納税の義務」「法の遵守」にまとめられる。議会制民主主義であり、法治国家である日本において、これらの点はもはや当たり前と言えよう(※しかし、この聖書の言葉をもって、権力に無条件で従うべきであると教えるのは、危険である。行き過ぎると、教会や牧師の一方的な権力の正当化につながってしまう)。

 

 2つ目に、クリスチャンは権力者のために祈る必要がある。それは、権力者がどのような人であるかに関わらず、だ。聖書にはこう書いてある。

そこで、私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。それは、私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を送るためです。そのような祈りは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。

(テモテへの手紙第一 2:1~4)

 

 聖書は、高い地位にある人々のために祈るように勧めている。その目的は、「私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を送るため」また「神はすべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられる」とある。つまり、現代において、為政者がイエスを信じ、救われて、良い政治を行うように祈るのは、クリスチャンとしてとても大切な行為である。「そのような祈りは、私たちの救い主である神の御前で良いことであり、喜ばれること」とまで書いてあるのは、聖書でもなかなか珍しい。

 クリスチャンとして、まず行うべきは、政治家に対して「やめろ!」と叫ぶことではないと私は言いたい。クリスチャンにしかできないのは何か。政治家や世の中のリーダーたちのために祈ることではないか。デモをやるなと言っているわけではない。ただ、為政者のために祈ることは、クリスチャンとって特権であり、義務なのではないか、という点を指摘したい。

 

 3つ目に、クリスチャンは神の主権を認めなければならない。どういうことか。聖書にはこう書いてある。

ファラオは心を頑なにし、イスラエルの子らを去らせなかった。主がモーセを通して言われたとおりであった。主はモーセに言われた。「ファラオのところにいけ。わたしは彼とその家臣たちの心を硬くした。それは、わたしが、これらのしるしを彼らの中で行うためである。また、わたしがエジプトに対して力を働かせたあのこと、わたしが彼らの中で行ったしるしを、あなたが息子や孫に語って聞かせるためである。こうしてあなたがたは、わたしが主であることを知る」

出エジプト記 9:35~10:1~2)

ああ、あなたがたは物を逆さまに考えている。陶器師を粘土と同じにみなしてよいだろうか。造られた者がそれを造った者に「彼は私を造らなかった」と言い、陶器が陶器師に「彼にはわきまえがない」と言えるだろうか。

イザヤ書 29:16)

聖書はファラオに、「私があなたを立てたのは、あなたによって私の力を示し、私の名を全地に告げ知らせるためである」と言っています。このように、神はご自身があわれもうとする者を憐れみ、かたくなにしようとする者をかたくなにされるのです。そこで、あなたは言うでしょう。「ではなぜ、神はなおも人を責められるのか。神の御心に誰が逆らうことができようか」ああ、人よ。神に口答えするとは、あなたは何者か。造られたものが作った者に、「どうして私をこのように作ったのか」と言えるでしょうか。陶工(陶器師)は、同じ粘土の塊から、一つを貴い器に、一つを卑しい器に造る権限があるのではないか。

(ローマ人への手紙 9:17~21 聖書協会共同訳)

 

 少しこの聖書の言葉を説明する。旧約聖書の時代、エジプトで奴隷だったイスラエルの民は、神によって救い出される。預言者モーセが民を導き、エジプトから脱出した、あの話である。モーセはエジプトの王ファラオと交渉し、穏便に出ていこうとしたが、ファラオの心は「かたくな」になり、イスラエルが出ていくのを許さなかった。神は、「ファラオの心をかたくなにしたのは私だ」と語る。実は、全ては神の計画だったのだ。出エジプトはその記述であり、イザヤ書やローマ人への手紙は、その点の解説である。

 この点について、「心をかたくなにさせられるなんて、ファラオがかわいそうだ」と思う人もいるだろう。そのとおり。しかし、その後の、イザヤ書やローマ人の手紙が解説するように、そもそも人を造った創造主は神ご自身である。その人をどんな人に造ろうと、その人をどう用いようと、それは神の主権の範囲である。私たち人間にとやかく言う資格はない。主権は全て神にあるのだ(ただ、ファラオに関しては、元々かたくなだった彼の性質を神が利用した、という解釈もできる)。

 まとめると、どんな善い人も、悪い人も神によって造られた事実は変わりない。そして、その人をどう用いるかも神の主権の範囲である。究極的には、善い人も、悪者も、神の計画のために造られたのである。たとえ自分が良いリーダー、良い政治家だと思わなくとも、何らかの理由で神はその権威を立てたのである。異議は唱えつつも、究極的には神の主権があるという点を覚えておかなければならない。

 

 クリスチャンの政治に対する基本姿勢をまとめると以下である。

1:クリスチャンは、為政者を尊重し、権力に基本的には従い、納税の義務を果たし、法を遵守する必要がある(人として当たり前)。

2:クリスチャンは、為政者のために祈る特権と義務がある。

3:たとえ悪者であっても、神の創造物である。神はどんな人も、その計画のために用いる力と権威がある。

 

 では、政治に対するクリスチャンの基本姿勢を踏まえた上で、投票先を選ぶ際の基準を見ていこう。

 

 

▼投票先を選ぶ際の基準1 <政策・理念>

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 クリスチャンであるかどうかに関わらず、投票先を選ぶ際に基本となるのは、政策と理念である。政策・理念と呼ばれるものの種類は多々あるが、大きく分ければ2つ種類がある。

<政策・理念>

1:選挙公約・選挙政策

2:その党の基本理念や基本姿勢

 1の「選挙公約・選挙政策」とは、文字通り、それぞれの政党や候補者が掲げている公約や政策を指す。もし選挙で当選したら、こういうことをやります。こういうことを実現したいです、と約束するのが選挙公約だ。大きな選挙の前には、それぞれの政党は必ず「選挙政策」を打ち出す。各々、ホームページに掲載されるので、主要な政党の政策はチェックすれば、それぞれの方向性は分かるだろう。候補者に関しては、それぞれの候補者のホームページやツイッターなどに個々の政策や公約は記載がある場合が多い。それぞれの政策を読み、単純に自分が魅力的だと思った政党や候補者に投票する。これがまず選挙においての鉄則だ。

 2の「基本理念や基本姿勢」というのは、選挙公約には記載されていないが、その党や候補者の基本的な方向性を指す。例えば、それぞれの政党は、大きく分ければ「保守・中道・革新」などの方向性に分けられる。その上で、自分が重要と思うテーマに沿って、それぞれの政党がどういう考え方なのかを調べる。

 例えば、安全保障についての考え方はどうか。日本が戦力を強化した方が良いのか。それともアメリカに頼る方向なのか。それとも武力は一切持たない選択をするのか。それぞれの政党がどう考えているのかを知る必要がある。社会保障・年金についてはどうか。経済政策はどうか。子育て政策はどうだろう。税金に対する考え方は? 農業政策は? 外交政策は? 憲法に対する考え方は? などなど・・・見るべき項目は多岐にわたる。

 また、外交・安保、経済などといった大きなテーマ以外に、個別の小さなテーマで各党の考え方を調べるのも大切だ。例えば、その政党はジェンダーの問題をどう扱っているか、調べる必要がある。中絶に関してはどうか。結婚観はどうか。捕鯨についてはどうか。女性活躍は? 自分に関係のある補助金は? 候補者の宗教的信念は? そういった、個人的な、かつデリケートなテーマについて、各政党や候補がどのような考え方をしているか、知る必要がある。特にクリスチャンにとっては、ジェンダーや中絶に関する問題は、信仰そのものと深く関わってくる。候補者の信仰や信条がもしあれば、それも大切になってくる。自分と正反対の考えの人には、なかなか投票するのも難しいと思う。

 幸いなことに、このインターネット社会では、容易に政党や候補者の情報を集められる。大切なのは、まず「オリジナルのホームページ」をチェックすることだ。報道やツイッター、匿名掲示板などにあふれる情報は、本当のものもあるが、ただのウワサもある。また、本当だが一部だけが切り出されている場合も多い。まずは、公式ホームページをチェックしてみよう。

 また、最近は政党や国会議員がツイッターyoutubeなど、様々なツールを用いて、自ら発信しているケースが多い。特にツイッターに個人的な主張を書き込む議員や候補者は多く、彼らの考え方を知るために、非常に有益である。ぜひ自分の選挙区の候補者のツイッターは確認しておこう。

 一点だけ、野党の政策を見る際に全て実現すると思わないように注意したい。もちろん、与党の政策も全て実現するとは限らない。しかし、野党時代に言える内容と、実際に政権運営をする上で実行できる内容は大きく異なる。それは、民主党政権交代した際にも十分わかっただろう。野党の言う政策は、基本的には政権を取らないと実現しない。同時に、与党が打ち出しているものも本当に実現するか怪しいものもある。選挙の際は往々にして耳ざわりが良い公約を打ち出しがちだ。

 それでは、政策によって投票先を選ぶのは無意味なのではないか。決してそうではない。なぜか。良い政策を打ち出した方が多く得票すれば、結果的に国民に利益となるからだ。それを考える上で、次のポイントが重要になってくる。

 

 

▼投票先を選ぶ際の基準2 <全体の政局>

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 さて、投票する候補者を選ぶ際に、政策の他にもう一つ重要な点がある。それは、全体の政局を考える、ということである。今は与党が強いのか、野党が強いのか。与党が勝てばどんな影響があるのか。野党がどれだけ議席を伸ばせば、政治にどんな影響があるのか等、全体の政治の流れを考える、ということである。

 参議院選挙においては、「選挙区」比例代表の2種類があるので、それぞれについて、私なりの考え方を述べる。

 

1:選挙区の考え方

 参議院選挙の選挙区においては、都道府県ごとに議席が割り振られる形になっている。今回、2019年の参院選では、東京で6人、大阪で4人が当選する。参院選は3年ごとに半数が改選するので、東京では12、大阪では8つの議席数があるということになる。人口が少ない地域だと、1人、合計2人しか当選しない選挙区もあり、これらは「1人区」と呼ばれる。

 残念ながら、特に参議院選挙の選挙区においては、投票が行われる前から、おおよその当選者は見えている。なぜなら、参院選は仕組み上、現職が圧倒的に有利な上に、選挙でモノを言うのは、候補者を支援するバックの企業や団体、後援会などによる「組織票」だからだ。投票率がべらぼうに高くなって「浮動票」が片方の候補に流れたり、2009年の民主党が大勝した時のような圧倒的な空気感がなければ、まず選挙情勢は覆らない。よっぽど候補者同士が競っている選挙区なら別だが、そういうところは少ない。それゆえ、「どこに投票したらいいか分からない」という人の票は「浮動票」となり、落選してしまうのが目に見えてしまう候補に投票しても、それはいわゆる死票となってしまうのである。

 ではどうしたらいいのか。私がオススメしたいのは、まず自分の選挙区の候補者の情勢を調べてみることだ。大抵の場合、前回の選挙結果を見れば、おおよその結果は予測できる。また報道を見れば、どの候補が優勢だとか、誰と誰の争いなのかが、ぼんやりと見えてくるだろう。「死票」はもったいないので、競っている候補の中から(たいてい1人の圧倒的勝ちか、2人で競る形が多い)、自分が賛同したい政党や候補に投票すれば良い。もちろん、負けると分かっていても、自分の応援したい政党の候補、自分が賛同したい政策を訴える候補が入れば、その候補に票を入れるのは当然である。

 しかし、よく分からないという人には、オススメの方法がある。それは、「与党か野党か」と考える方法だ。特に、今回の参議院選挙の「1人区」(当選するのが1人だけの選挙区)においては、野党は候補を「一本化」した。

 一本化というのは、主な野党(立憲民主党、国民民主党共産党社民党など)が野党同士で候補者のバッティングしないように調整することを意味する。例えば、A地区では立憲民主党の候補を出す代わりに、B地区では共産党の候補を出す、といった具合に調整している。こうすることによって、政権与党への「批判票」を一本化することができ、地域によっては与党と対等な勝負ができるのだ。野党系の候補の中には、様々な事情で「無所属」として出馬する人もいるが、多くは元々共産党系の候補だったりする。検索すればすぐに出てくるので、調べてみよう。

 

 まとめると、議席が1つか2つしかない選挙区の考え方はシンプルだ。「自公の政権与党にこのまま続けてもらう」のか、「今の政権与党には不満なので、ちょっとお灸をすえたい」のか、どちらかである。前者であれば与党系の候補者、後者であれば野党系の候補者に投票すれば良い。後者の場合、たとえ与党側が勝利しても、票差が肉薄すれば与党側は理不尽な行為はしにくくなる。あなたの一票は、十分けん制になりうるのだ。逆に与党側への投票は、今の政権・与党に対する十分な後押しになる。自分の考えによって、「与党側」「野党側」への投票を考えたらいいと思う。

 議席数が多い都市部では、少し様相が違う。例えば今回の参院選で、東京では6人が当選する。それだけ枠があると、各党がそれぞれ候補者を擁立する。自民党立憲民主党は、ひとつの政党から2人も擁立する。大阪でも日本維新の会が2人擁立する。議席数が多い選挙区では、自然と最後の1~2議席をめぐって接戦となる場合が多い。例えば、前回の参議院選挙の結果を見てみよう。

<2013年参院選東京選挙区の結果>

(敬称略)(※当時は5議席当選※)

1位:丸川珠代自民党)106万4660票

2位:山口那津男公明党)79万7811票

3位:吉良佳子共産党)70万3901票

4位:山本太郎(無所属)66万6684票

5位:武見敬三自民党)61万2388票

===(落選)===
6位:鈴木寛民主党<当時>)55万2714票

7位:小倉淳(維新<当時>)41万3637票

(以下略)

 

 ご覧いただければ分かるが、これだけ議席数が多いと、自然と「自民」「公明」「共産」「無所属or民主など野党系」+アルファという結果になることが分かる。今回の選挙は、ほとんど同じ人たちが改選なので、正直、現職の「自民(丸川)」「公明」「共産」の当選は堅い。当時なかった立憲民主党もおそらく1議席は確実に獲得する。山本太郎氏は「れいわ新選組」を立ち上げ、自身が東京選挙区から出馬するかまだ不透明だ。

 となると、残る1~2つの議席を「自民2人目」「立憲民主2人目」「その他(国民民主、維新など)」で争うという構図になる。つまり、支援する政党や候補者が明確でない、誰に投票するか迷っている人にとって、上位4人に投票してもあまり意味はない。先に述べたように、上位層はほぼ当選が確実だからだ。それらの人にとって、実は選択肢は「与党第一党の2人目候補」または「野党第一党の2人目候補」しかない。

 先に述べたように、投票先を迷う人にとっては、「今の政府・与党を後押ししたい」のか「今の政府・与党にお灸をすえたい」のかの2択で考えるのをオススメする。そう考えた時に、実はこの2つの選択肢しかないのだ。もちろん、明確に後押ししたい政党や候補者がいれば、その人に投票すれば良い。しかし、政治全体を見た時に、当選するかしないかの瀬戸際の人に投票すれば、その他の泡沫候補に入れるよりも、1票の影響力は格段に増す。

 

2:比例代表の考え方

 参議院選挙は「選択区」のほかに、比例代表がある。つまり、1人2票入れる仕組みになっている。「選挙区」は「候補者」に対して票を入れるが、「比例代表」は「候補者名または政党名」を記載して投票する。つまり、より政党色の強い戦いになるのだ。衆議院は選挙区で落ちた候補が「比例復活」するが、参議院選挙は「比例復活」は存在しない。選挙区の候補は選挙区のみ。全国比例の候補は比例のみの立候補になる。

 つまり、比例代表は主に「政党」に投票するものだといって過言ではない。参議院選挙の比例代表は、候補者名や政党の名前を書けば、その得票数に応じて、各党の当選者数が決まる。その後で、候補者名を多く書いてもらった人順に当選が決まる。

 例えば同じ政党内で5人が比例で立候補したとしよう。各自の「候補者名」での得票は以下であったとしよう。

・ペテロ候補:3500票

ヨハネ候補:5000票

・アンデレ候補:1200票

・ユダ候補:800票

ヤコブ候補:2800票

 この党の中から、比例の計算によって3人が当選することになった。その場合、得票が多かった順番に、「ヨハネ候補」「ペテロ候補」「ヤコブ候補」の当選が決まる。「アンデレ候補」と「ユダ候補」は落選となる。

 つまり、比例代表であっても、候補者名をいかにたくさん書いてもらうかが勝負になる。つまり、ただ政党名を書くよりも、候補者名を書いた方がより1票の影響力があるということになる。この場合のオススメは、

1:まず応援したい政党を決める

2:その次にその中で応援したい候補を決める

3:その候補の名前に投票する。

 というやり方だろう。

 クリスチャンにとっては、投票先は特に明確である。詳しくは後述するが、特別な事情がない限り、クリスチャンにとって「公明党」と「共産党」には投票はしにくいだろう。しかも、「公明党」と「共産党」は組織の力で当選者の数がほぼほぼ読めている。そこから大きく増えたり減ったりしないのが目に見えている。それゆえ、投票する意味は、あまりないかもしれない。

 この場合も、私なりのオススメは、特段自分が応援したい政党が強烈にない場合は、「政権与党を応援する」のか、「野党第一党を応援し、政権にお灸をすえる」のか、という目線で候補者を選ぶということだ。もちろん、それ以外に応援したい政党が個別である場合は、その限りではないが・・・。

 ただ、「2大政党制」を目指す「小選挙区制度」の選挙においては、前提として「与党第一党」か「野党第一党」以外への投票は、大局的にあまり意味がないと言えてしまうかもしれない。

<まとめ>

・まず自分の選挙区の候補者を調べる。肉薄しているのか、圧倒的な差があるのか考える。

・応援したい政党や候補者がいない場合は、「政権与党を後押しする」のか「政権与党にお灸をすえる」のかという目線で投票先を考えてみる。

前者の場合は与党第一党に、後者の場合は野党第一党野党統一候補)への投票を考えてみる。当選議席数が多い地域は、接戦となる最後の数人は誰か情報を集めてみる。

・もちろん、政策や理念を第一優先で考えることを忘れずに。なぜなら、投票結果によって、政党は政策の路線変更を余儀なくされるからである。国民がしっかり投票すれば、結果として国民の利益になる。

 

 

▼政治と関わる際にクリスチャンが気をつけるべきこと

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 さて、ここまでは投票の基本を述べたが、クリスチャンがそれ以上に気をつけるべき点がある。それは何か。日本の主要政党の中には、宗教的なものがバックグラウンドにあるものが多い。それらの政党との関わりについて、クリスチャンは細心の注意を払うべきである。以下、2つだけ具体的に述べる。

 

1:共産党マルクス主義

 まず最初に挙げるべきは共産党の存在だろう。共産党の根幹にある考えは、キリスト教の考えとは真っ向から対立するものである。詳細を述べるのはこの記事では避けるが、共産党の根幹的な考えとクリスチャンの考えは、本来は相容れないものである。

 そのような根本的な価値観の不一致があるからこそ、クリスチャンは共産党共産党系の団体との付き合いに細心の注意を払うべきである。なぜか。以前、記事に書いたが、クリスチャン・教会の共同体・団体が、政治、特に共産党に深く関わると、政治団体に利用される危険性が高いからである。いや、既に利用されている教団・団体がある。残念ながら事実だ。既に共産党は、某キリスト教団体との「対話」を複数回にわたって行っている。共産党からすれば、いい票田なのだろう。特定の政治思想にキリスト教団体が利用されてしまっているのは、私は悲しく思う。

 確かに、共産党が掲げる「弱い人に寄り添う形の政策」や、「平等の精神が見える政策」などは、もしかすると聖書に通じるものも「一部」あるかもしれない。しかし、それは表に見えている一部の要素に過ぎない。根幹が聖書・キリスト教の思想と全く相容れないのに、どうして共産党とクリスチャンが仲良くできるだろうか。私は疑問に思う。また、有り体に言えば、共産党の政策は絶対に実現しない。共産党は永遠に野党だからだ。「確かな野党が必要です」というフレーズもあっただろう。仮に実現するとすれば、それは「革命」が起きた時だけだ。だから、正直、共産党の政策に共感して投票する意味はほとんどないといえるだろう。

 

2:創価学会立正佼成会神道幸福の科学など

 さて、今度はもっと反論が少ないであろう明らかな指摘をしたい。それは、創価学会」「立正佼成会」「日本神道」「幸福の科学」などの他の宗教がバックグラウンドにある政党や候補者に注意しようという指摘である。クリスチャンである以上、他の宗教を信奉する政党や候補者を応援しにくいのは、論じるまでもないだろう。

 公明党創価学会とイコールであるのは、誰でも知っている常識だ。ゆえに、クリスチャンは公明党公明党の候補も応援できない。それに、公明党創価学会信者たちが票を集めるので、一般人が投票する意味は、正直あまりない。

 また、候補者の中には仏教系の立正佼成会がバックグラウンドにある候補が複数いる。ウィキペディアなどに載っているので、気になった人は検索してみると良い。この場合も、クリスチャンである以上、なかなかそのような候補は応援できない。

 与野党問わず、議員の中には、神道を本気で信奉する人もいる。この場合は、候補者のホームページやツイッターなどを見れば、分かるかもしれない。あまり宗教性が強い場合は、クリスチャンとして投票するのはどうかとも思う。ただ、神道にどこまで宗教性があるかというと、私は微妙だと思うので、細かい点は個々が祈りつつ判断すれば良いとは思っている。

 幸福の科学は言うまでもないが、新興宗教であるし、そもそも泡沫候補の限りを尽くしたみたいな存在なので、応援する人は信者以外にいないだろう。

 その他、政治の世界には、宗教がかなりの度合いで関わっている場合が多い。クリスチャンである一有権者であるあなたは、自分の選挙区の候補者を真剣に吟味する必要があると覚えてほしい。投票先に宗教的なバックグラウンドがあるかないか、問題であるかないかを吟味した上で、祈って判断する。これがクリスチャンにとって必要な姿勢だと思う。

 

 

▼投票しないという選択肢の是非

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 最後に、「投票しない」という選択肢の是非について軽く述べたい。有権者の中には、「そもそも投票に行かない」とか、「白票で投票する」という人もいるだろう。政治には期待できない。誰がなっても一緒。どの政党も信じられない。・・・確かにその気持は分かる。特に、民主党政権が「失敗」した今、野党に対する期待が相対的に薄いのも現状だ。支持率がそれを如実にあらわしている。

 しかし、私は「投票しない」という行為は、政権与党や大きな支持母体を持つ政党を利するだけだと指摘したい。実際、投票率が下がれば下がるほど、必ず投票に行く組織・団体の組織票が全体の割合として増える。その結果、組織票を持つ候補だけが当選するようになる。それならば、政党や政治家は、自分を応援してくれる企業・団体だけにこびへつらえばいいことになる。その結果が、今の政治の状況だ。

 イスラエルのように、投票率がべらぼうに高くなれば、(※例えば、2015年の選挙は投票率は72%だった)国民的議論が巻き起こり、政府・与党もいいかげんな政権運営ができなくなる。しかし、国民が政治に関心がなくなると、やりたい放題だ。現実的に、今の政府の姿勢はどうだろう。財務省は文書を改ざんし、防衛省は日報を隠蔽し、厚労省はデータ正しく計算していない。国会は空洞化し、まともな議論がされていない。しかし、政権・与党の支持率は高いままというのも、データが示す現状である。

 これでいいのだろうか。もし良いと思わなければ、少なくとも投票に行き、今の政府に対して、賛成でも反対でも、何かしらの意思を示すべきではないだろうか。若い人ほど、投票率は低い。18歳に選挙権が引き下げられてもなお、若者は投票に行かない。するとどうなるか。各政党は、投票に行くシニア世代の方ばかりを向いた政策を主張するようになる。当たり前だ。投票に行く層にアピールした方が、票になるからだ。私は、投票という「権利」を行使しないのは良くないと思う。先人たちが大変な努力をして、ときには血を流してやっと国民が獲得した権利が「投票」である。主権者たる国民として、投票に行くのはとても大切である。

 

 

▼この世に寄留するクリスチャンとして

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 ここまで様々述べたが、クリスチャンとして覚えて置かなければならない点がいくつかある。まず、本当の主権者は国民でも政府でも議員でもなく、この世界を造った神ご自身である。神の右の座に座っているイエスは、いつの日かこの地上に戻ってくる。そして、イエスは王として君臨する。イエスは、新しい天と地を創造する。私たちは新しいエルサレム、都の住人となる。これがクリスチャンが持つ希望である。

 つまり、クリスチャンはこの世にあっては寄留者なのだ。この世にいる間は、仮住まいなのだ。エスという完全な主権者、王が来るまで、この世の政治は結局、不完全なままである。当たり前だ。民主主義そのものが、不完全な人間が不完全な人間をリーダーに選ぶという、欠陥だらけの制度なのである。民主主義が人間の最高傑作などといった人間至上主義を唱えたフランシス・フクヤマなんていう人は、人間の愚かさが分かっていない。しょせん、不完全な人間が、代表を選ぶ選挙である。政治に過度な期待をするのも、クリスチャンとしてはおかしな話なのである。

 しかし、この仮住まいの間は、その権威の下で様々なルールが決められるのも、また確かである。無関心ではいけない。私たちクリスチャンは、この世の権力者のために祈りつつ、彼らが1人でも主イエスに出会うことを願うべきである。そして、よく調べ、考え、祈った上で、自分に与えられた「投票」という権利を用いるべきだ。そう私は考える。

これらの人たち(旧約の先人たち)はみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。そのように言っている人たちは、自分の故郷を求めていることを明らかにしています。もし彼らが思っていたのが、出てき来た故郷だったなら、帰る機会はあったでしょう。しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。

(ヘブル人への手紙 11:13~16)

その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、はずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。

(ピリピ人への手紙 3:20)

 

 

(了)