聖書を読んでみようと思っているけど、どこから始めていいか分からないアナタ! 私なりのオススメの聖書の読み方を4つご紹介します。
- ▼聖書を読もう!
- ▼読み方1:通読型
- ▼読み方2:バランス型
- ▼読み方3:3色ボールペンで聖書汚し型
- ▼読み方4:じっくり研究型1<SOAP>
- ▼読み方4:じっくり研究型2<IBS>
- ▼おまけ1:聖書を読む習慣をつけるコツ
- ▼おまけ2:さらに研究するために
▼聖書を読もう!
聖書は、最高の本である。読んでも読んでも飽きない。聖書は、底の知れない真理で溢れている。私は、仕事中も暇さえあれば聖書を読んでいる。社会人としては失格だが・・・(笑)
よく、「聖書を全部読んだんですか」と聞かれるが、もちろん答えはイエス。「聖書って1回以上読むものなんですか」とも聞かれるが、答えはイエス。「同じ本を何度も読んで面白いんですか」とも聞かれるが、答えはイエス。読むたびに、まるで玉ねぎの皮をむいているように、その度に新しい発見がある。それが聖書である。聖書を読む体験は素晴らしい。超ウルトラスーパーオススメ。なぜオススメかは、先週の記事を参考にしていただきたい。
でも、そんなこと言っても、聖書は分厚い本である。手にするだけで、読む気が失せるのも分かる。文体も、古代のヘブライ語やアラム語、ギリシャ語で書かれたものなので、日本語ではどうも読みづらい。大体、どこからどう読んでいいかも分からない。
そんなアナタに、私なりのオススメの「読み方」を4つ紹介したいと思う。もちろん、これらは「正解」ではない。いろんな読み方がある。この4つを複合的に組み合わせて読むのもアリだ。あくまでも、「私のオススメ」として、参考にしていただきたい。
▼読み方1:通読型
第一のオススメは「聖書通読」である。文字通り、聖書の最初から最後まで、通して読む方法である。聖書には、「章」や「節」がある。これは、聖書の原典には当然ないのだが、聖書があまりにも長いため、便宜上割り振られた「住所」のようなものである。この「章」を基準に、1日に読む目安を決めて、毎日、または継続的に読むようにすると、続けやすい。
具体的には、1日に4章読むと、毎日読めば1年で聖書を読破できる。4章というと、膨大に聞こえるかもしれないが、ページ数にすると、意外と少ない。例えば、創世記1章~4章までは5ページちょっと。マタイの福音書1章~4章までも、5ページちょっとである。聖書の中で一番長いのは、詩篇119編であるが、それでも10ページ弱である。4章分を読む分数を換算しても、数分~10分というところだろう。意外と、続けられそうではないか。
世の中には、便利なことに「聖書通読表」というものがある。読んだ場所を塗りつぶしていくカードのようなものだ。私は、日本聖書協会が10部で200円という破格で提供している、聖書通読表をオススメしたい。ここから聖書通読表を購入できる。
↑私が使っている「聖書通読表」
小学校の頃の「なわとびカード」のように、読んだ場所が埋まっていくというのは、意外と楽しい。「聖書通読表」はシンプルで、自分のペースに合わせて使えるので、オススメだ。「新改訳聖書」に対応していないのが玉にキズだが、正直聖書の区分は変わらないので、「新改訳」ユーザーは、「口語訳」のバージョンを使えば問題ない(「新共同訳」は、「外典」がついていたり、章の区分が多少異なる)。
同じページにある「一年聖書通読日課表」は、1年で1周できるよう、あらかじめ読む場所が割り振られているカードである。自分で読む場所が決められないという人は、こちらもオススメである。カードに書いてある場所を読むだけ。カンタンである。だけれども、人間忙しいので、読めなかった日があったりすると、このやり方は挫折しやすい。自分に合ったカードを使ってみよう。
他にもこんなカードもある。これは、「日課表」と同じで、読む場所が決められている方式だ。こちらはすぐにダウンロードできるが、ちょっとクオリティに難があるのが惜しい。
1日数分~10分、4章、約5ページ読むだけで、1年で聖書を読み切れる。8章読めば、半年で。16章読めば、3ヶ月で読み切れる。意外とカンタンじゃないだろうか。このやり方のメリットは、続ければ誰でも聖書を1周読めるという点にある。
でも、頭から読んでいくと、どうしても苦手な文体や場所にぶち当たった時に、挫折しがちだ。そんな人にオススメしたいのが、次の読み方である。
▼読み方2:バランス型
次にオススメしたいのが、「バランス型」の読み方である。どういうことか。聖書は、実は様々な「本」の集合体である。旧約39巻、新約27巻の、全部で66巻ある。様々な区分があり、ざっと挙げると、以下のようになる。(ちなみに、ユダヤ教の聖書(旧約聖書)では、トーラー、ナビイーム、クトビームの3つの区分がされているが、今回はわかりやすくするためキリスト教の区分に限る)
【旧約聖書】
<モーセ五書・トーラー>
<歴史書>
ヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記(第一、第二)、列王記(第一、第二)、歴代誌(第一、第二)、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記
<知恵文学・諸書>
<預言書>
イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書、ダニエル書、ホセア書、ヨエル書、オバデヤ書、ナホム書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書
【新約聖書】
<福音書>
マタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書、ヨハネの福音書
<書簡・手紙>
使徒の働き(使徒行伝)、ローマ人への手紙、コリント人への手紙(第一、第二)、ガラテヤ人への手紙、エペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、テサロニケ人への手紙(第一、第二)、テモテへの手紙(第一、第二)、テトスへの手紙、ピレモンへの手紙、ヘブル人への手紙、ヤコブの手紙、ペテロの手紙(第一、第二)、ヨハネの手紙(第一、第二、第三)、ユダの手紙、ヨハネの黙示録
このように大きく分けると、聖書は、旧約4種類、新約2種類の合計6種類に区分できる。第二のオススメの読み方は、この区分ごとに少しずつ聖書を読んでいくやり方である。例えば、以下のように読む。
<1日に読むスケジュール例>
・モーセ五書から1章
・歴史書から1章
・知恵文学から1章
・預言書から1章
・福音書から1章
・書簡・手紙から1章
合計:6章
この読み方のメリットは、バランスよく聖書を読める点である。しかも、聖書は横断的に「伏線」が隠されているため、このように分割して読むと、モーセ五書で読んだ伏線が、その日読む福音書で回収される、なんていう発見もできたりする(しかも、けっこう頻繁に体験する)。これは、私もいまだに実践しているオススメの読み方だ。
1章ずつだと覚えきれない、頭がついていかないという人は、こんな読み方もアリだ。
<1日によむスケジュール例>
・詩篇を1編
・福音書や手紙から2章
合計:6章
もっともっと読みたいという人は、こんな読み方もアリだろう。
<1日に読むスケジュール例>
・モーセ五書から3章
・歴史書から3章
・詩篇から1編
・預言書から3章
・福音書から2章
・書簡・手紙から2章
合計:14章
このように、バランスよく読めば、「レビ記でつまずいた」とか、「歴代誌で飽きた」とか、「エゼキエル書で挫折した」とか、「新約聖書ばっかり読んでる」みたいな、ありがち挫折パターンから逃れられる。
「旧約聖書がなかなか読み進められない」という声は、クリスチャン界隈ではよく聞く。しかし、実は、旧約聖書が分かるようになると、新約聖書がもっと面白くなるのだが・・・。旧約聖書が苦手な人は、この「三角食べ」のようなバランス型の読み方を試してみてはどうだろう。
▼読み方3:3色ボールペンで聖書汚し型
3つ目のオススメの読み方は、「3色ボールペンを使う」というものである。どういうことか。別に4色でも5色でも、蛍光ペンでもいいが、とにかく色ペンで聖書に書き込みまくる! というものである。
色分けの基準は、自分で決めれば良いが、参考までに私が小中学生頃からやっていた「色分け」のやり方をお示しする。
<3色ボールペンの使い方の例1>
赤:印象に残った箇所
青:新しい発見をした箇所
緑:意味が分からなかった箇所、疑問に思った箇所
<3色ボールペンの使い方の例2>
赤:「愛」など、神様のポジティブな印象を受けた箇所
青:「戒め」など、神様の恐ろしい印象を受けた箇所
緑:自分が読んで教訓を得た箇所とその教訓
<3色ボールペンの使い方の例3>
赤:特に気になった箇所に線をひく。
青:その時、自分のテーマになっている語彙にマルをする。
緑:繰り返し使われている語彙、キーワードにマルをする。
色分けをすると、聖書が視覚的に見えてくるのでオモシロイ。そう、このやり方のメリットは、聖書を立体的に読めるようになるという点である。再びそのページをめくった時に、そのページに自分がどのような印象を受けたのか、読み込まなくても分かるようになる。また、色塗りは基本的に楽しい行為なので、自然と読むのも楽しくなる。
また、以前自分が使っていた聖書をひらくと、当時の自分がどのような印象をもってその言葉を読んでいたかが明らかになる。私は、小学校6年生から聖書を読みはじめ、16歳でイエスを本当に信じた。その間に読んでいた聖書をひらくと、神が人間を罰したり、戒めたりする箇所ばかりに線が引いてあった。イエスを本当に信じるまでは、「良い行い」が人を「救う」と考えていたので、その反発で、罪を犯したり、「失敗」するのを、必要以上に恐れていたのである。心の状態が、聖書に線を引く行為で、後に明らかになったのである。
↑私の書き込み例。「霊」と「肉」が対比されているのがわかる。「しかし」を三角で囲うの、懐かしい感じがしませんか?
線を引くだけでなく、様々な書き込みを余白にするのも、とても大切だ。聖書はどんどん汚したほうが良いというのが、私の持論だ。たまにカッコつけて「線を引かない」という主義者もいるが、私は格好悪くても線を引きまくって、神様についてもっと知れた方が良いと思う。人に見せるためにではなく、自分のためにやっているのだから。
人間は、忘れやすい生き物だ。聖書を読んだ時の感動を、今すぐ聖書に書き込もう。ノートより、聖書そのものに書き込む方が、私はオススメだ。ノートはほとんどの人が見返さないが、聖書は見返すからだ。もし古くなったら、買い換えればいい。聖書はただの紙とインクである。たまにボロボロになっても同じ聖書を自慢げに使い続ける主義者もいるが、私は「読みにくくないのかなぁ」と思ってしまう。聖書はどんどん使い古したほうが良いと、私は思う。
▼読み方4:じっくり研究型1<SOAP>
最後のオススメは、「じっくり研究する」という読み方である。この読み方は、「通読」「バランス」「ボールペン」のような、サラッと読むようなものではない。じっくり腰を落ち着け、コーヒーの一杯でも入れて、「さぁ、かかってこい」という感じで、聖書の言葉を研究するのである。この場合、ほとんどが1章や、それ以下の短い箇所を、とことん研究するといったやり方である。
<SOAPという読み方>
例えば、巷で「SOAP」(ソープ)と呼ばれる読み方がある。SOAPというのは、要素の頭文字を表したものだ。
<SOAPの要素>
S=Scripture(聖書の言葉)
O=Observation(観察)
A=Application(適用)
P=Pray(祈り)
この4つの順番で聖書を読むというものである。まず「聖書の言葉」をじっくりと読む。その上で、読んだ言葉を、じっくり「観察」する。この「観察」のプロセスが最も大切である。聖書の言葉を読むだけでなく、観察しまくる。キーワードは何か。この章にタイトルをつけるとしたら何か。代名詞は何を指すか。特定の用語は何回用いられているか。同じ表現は聖書の他の部分に出てくるだろうか。動詞は自動詞か他動詞か、受け身か、etc・・・高等教育を受けた人なら、「現代文」のやり方と言えばピンとくるだろうか。
↑私の書き込み例。「心」と「思い」が並列表現になっている。
「聖書の言葉」を「観察」した上で、その言葉は自分にとってどんな意味があるのか考える。これが「適用」だ。聖書は読むだけでは意味がなく、その言葉をどう捉え、どう自分の「生き方」を変えるのか考え、実行するのが大切である。
その上で、最後に「祈る」。自分の力だけでは、真に聖書は理解できないし、それに応じた「適用」もできない。神の力、聖霊の力が必要である。それゆえ、祈るのである。これが、SOAPという聖書の研究の仕方である。
ちなみに、「観察」の過程のひとつとして、「ローマ人への手紙」とか「ヨブ記」といったような聖書の「本」まるまる1巻をチャート分けするという研究のやり方をする人もいる。章や節といった概念を取っ払い、自分で新たに区分けやタイトル付けをし、キーワードは何か、メインテーマは何か、チャートを作るというものだ。私も、何冊かでやったことがあるが、知っているようで知らなかった聖書の体系が分かるので、時間がある人にはオススメだ。
▼読み方4:じっくり研究型2<IBS>
もう一つが、IBS(Inductive Bible Study)というやり方である。日本語では「帰納的聖書の学び」と言われるが、何のこっちゃ分からない。カンタンに言えば、「聖書から聖書を学ぶ」という意味である。つまり、何かテキストとか、他のものを使わず、聖書の言葉そのものから、その内容を理解しようとするやり方である。先に挙げた「SOAP」と似ているが、IBSの基本的なやり方を紹介する。
<IBSの3つの段階>
1:Observation(観察)
2:Interpretation(解釈)
3:Application(適用)
<Observation・観察のやり方>
まず、徹底的に聖書の本文を「観察」する。例えば、基本的な「5W1H」を書き出してみる。「何が、いつ、どこで、誰が、なぜ、どうやって」を書いてみる。これが、意外と難しい。テキストを見て、何が起こったのか、いつおこったのか、誰が登場するのか、なぜこうなったのか、どうやって起こったのかを書いてみよう。
その上で、今度は以下のような点に注目してみよう。
<観察する際の注目点>
1:繰り返し使われている表現、キーワード
2:独特な表現や言い回し
3:比較(A>B)、並列表記(A≒B≒C)
4:比喩的な表現(直喩、隠喩)
5:疑問に思う点(多くの場合、解釈のカギとなる)
このような点に注目すれば、自ずと、テキスト自体が伝えたいメッセージが見えてくる。その上で、次のステップに移る。
<Interpretation・解釈のやり方>
さて、観察した結果、得た情報をもとに、聖書が伝えるメッセージを解釈する。この際、とても大切なポイントが5つある。
<解釈する際の注意点>
1:文脈に注意する
2:時代背景に注意する
3:用語の意味に注意する
4:文法に注意する
5:聖書全体の解釈とのバランスに注意する
まず大切なのが、文脈だ。誰が、誰に対して、どんな目的で語っている場面なのか知る必要がある。それは命令なのか、オススメなのか、戒めなのかを捉える必要がある。文脈抜きに聖書の言葉を「抜き出す」と、とんでもない解釈が可能となってしまう。
また、時代背景も大切だ。旧約なのか新約なのか。当時の文化背景は。社会状況はどうか。聖書の言葉が書かれた時代状況を加味しないと、これまたどんでもない解釈が生まれてしまう。
用語の意味に注意も必要だ。この際、ヘブライ語やギリシャ語の意味合いに注意する必要がある。以前このブログでも述べたが、例えばヨハネの福音書21章15節~19節の「愛する」という単語は、「アガパオー」と「フィレオー」という2種類のギリシャ語が使われている。この意味の違いを捉えないと、適切な解釈はできないのである。また、同じ意味で、ヘブライ語とギリシャ語の文法にも注目する必要がある。
最後に、これが最も大切だが、自分の解釈が「聖書の他の場所のメッセージと整合性が取れているか」という視点が必要だ。例えば、「神は喜んで与える人を愛してくださる」(コリント人への手紙第二9:7)と書いてあるからといって、「たくさん献金する人ほど愛される」という解釈にはならない。聖書の他の箇所と整合性が取れないからだ。例えばレプタ銅貨を投げ入れた未亡人が、イエスに一番評価された箇所と、どう整合性をつけるのかという問題になる。聖書全体のメッセージと、いかにバランスをとるかが、解釈する上で一番重要である。
<Application・適用のやり方>
さて、最後に「観察」して「解釈」したものを、自分の人生に「適用」する。ここが正直一番難しい。全ての言葉が、現代の私たちに当てはまるとは限らないからだ。以下は、単純に「適用」のコツだけを並べて書いておく。
<適用する際のコツ>
1:自分にとって、どういう意味があるのか考えてみる
2:自分の生活態度で、変えるべき点はどこか考えてみる
3:どう祈ってみたらいいか、考えてみる
4:できたら、一部、暗記してみる
適用は、なかなか良し悪しで判断できるものではない。それぞれのやり方で得た考えを、人生に当てはめてみてはどうだろうか。「千里の道も一歩から」。小さなことから始めてみよう。1日に100章読んで何もしない人より、1章読んで実行する人の方が、意味があると思う。
また、多くの人がすぐにネット上の記事や、牧師や教師の意見に頼りがちである。まずは聖書そのものを自分で読み込み、聖霊の知恵を求めつつ学ぶのが大切だ。こんなブログを読むより、聖書の1章でも読んだ方が、実はあなたのためになる!
いかがだっただろうか。以上、私がオススメする、4つの聖書の読み方である。今日から、少しずつでいい。1章でも、1節でも聖書を読み始めてみてはどうだろうか。その一助になれば、私も幸いである。
▼おまけ1:聖書を読む習慣をつけるコツ
おまけに、「どうしても聖書が読み進められない」という人のために、私なりのオススメを短くまとめてみる。
<1:読む時間・シチュエーションを決める>
一番のオススメは、「読む時間を決める」というものである。これが、一番の習慣づけになる。ダイエットと同じで、聖書はひとたび習慣になれば、スイスイ読めてしまう。正解はない。「朝起きて読む」「寝る前に読む」「お昼休みに読む」。なんでもいい。
シチュエーションを決めるのも大切である。「ベッドの上で」「自宅の机で」「リビングで」。正解はない。自分に合ったものを見つけよう。私は、通勤の地下鉄の中で読んでいる。意外と集中できるので、通勤電車、オススメである。時間的にちょうどいいし、通勤時間は、どんなに忙しくても必ず発生する時間なので、毎日続けやすいのである。読むのが苦手という人や、車通勤の人は、「オーディオバイブル」(聞く聖書)なんていうものもある。
<2:誰かとバディを組んで読む>
ダイエットも同じだが、誰かとバディを組んでやると続けやすい。私が集う教会のコミュニティのメンバーでは、有志の何人かでLINEグループを作り、その日読んだ聖書箇所を報告するというやり方を自主的に行っている。自慢するためでなく、単純にお互いに続けるために行っている。「誰かに報告する」というモチベーションがあるだけで、1人で読み続けるより、圧倒的に続けやすくなる。
<3:聖書通読表をつける>
くだらないと思うが、表をぬりつぶすだけで、モチベーションになるものだ。私もいまだに塗りつぶしている。ダイエットも、自分の体重を毎日測って記録するだけで、効果があるという。聖書も、自分が今どこを読んでいて、どこを読んでいないか、「視覚化」するのが大切である。これだけで、何もしないより、グンと続けやすくなる。
▼おまけ2:さらに研究するために
さらに聖書を研究したい! という人にオススメの3つのポイントを挙げる。
<1:違う翻訳で読んでみる>
当たり前だが、聖書は「翻訳された書物」である。それゆえ、翻訳のパターンによっては、全く違う表現も見受けられる。例えば、以下をご覧あれ。全部同じ聖書の部分の翻訳である。
私は贈り物を求めているのではありません。私が求めているのは、あなたがたの霊的な口座に加えられていく実なのです。
(ピリピ人への手紙 4:17 新改訳聖書2017)
贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの帳簿を黒字にする実りを求めているのです。
(フィリピの信徒への手紙 4:17 聖書協会共同訳)
私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。
(ピリピ人への手紙 4:17 新改訳聖書3版)
贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。
(フィリピの信徒への手紙 4:17 新共同訳聖書)
わたしは、贈り物を求めているのではない。わたしの求めているのは、あなたがたの勘定をふやしていく果実なのである。
(ピリピ人への手紙 4:17 口語訳聖書)
贈り物を感謝するのはもちろんのこと、何よりもうれしいのは、その親切な行いのゆえにあなたがたが受ける、豊かな報いのことです。
(ピリピ人への手紙 4:17 リビングバイブル)
同じ部分でも、これだけの違いが出るのである。面白い。中には、ほとんど意味が違うのではないかという部分もある。ぜひ、ひとつの翻訳だけでなく、様々な翻訳を比べて読んでみることをオススメする。
↑違う翻訳を読むと、以前の翻訳との違いが目につく。
<2:違う言語で読んでみる>
さらに発展して、違う言語ができる人は、違う言語で読むのをオススメしたい。英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語、インドネシア語、韓国語、中国語、ラテン語、などなど・・・聖書は様々な言語で翻訳されている。
私の知人の家族は、南太平洋の国、パプア・ニューギニアで聖書を翻訳していたそうだ。パプア・ニューギニアには、100を超える言語があると言われているが、担当したのはメラメラ語という言語だったらしい。聖書には「罪が雪よりも白くなる」という表現がある。しかし、パプア・ニューギニアには「雪」が降らないので、現地の人には理解できないし、「雪」にあたる言葉がなかったそうだ。翻訳者は、苦悩した上で、「雪」の部分を「ケアケア」という真っ白な鳥に置き換えたそうだ。これだけでも、面白いと私は思う。
特に英語は、本当にたくさんの翻訳がある。主要なものだけでも、KJV、NIV、NLT、NASB、ESV、BSB、CSB、CEB、NETなどなど、数え切れない。英語が少しでもできる人は、ぜひ様々な翻訳を見比べてみるようオススメする。
私は普段、このウェブサイト・アプリで英語の翻訳を見比べている。(無料!)
<ウェブサイト>
翻訳を一覧で見るだけでなく、原語や用例までチェックできるので、オススメだ。
最後に、これが最も重要だが、ヘブライ語やギリシャ語などの原語をチェックするのが大切だ。学者レベルの人からは、それでも不十分と言われそうだが・・・。なぜなら、「原典」といってもどこからが原典なのかハッキリしないため。聖書は基本的に写本しか残っていないのである。が、しかし、とにかく翻訳する際に「底本」となっているものをチェックするのは大事だ。
幸いなことに、現代ではヘブライ語やギリシャ語を「神学校」でわざわざ学ばなくても、英語ができれば丁寧な解説をウェブサイトやアプリで調べることが可能だ。以下、私が普段使っているアプリを2つオススメしたい。どちらもスマホに導入可能!
1:Blue Letter Bible(無料!)
<iPhone用>
<Android用>
<パソコン用>
2:e-sword(安い!)
<iPhone用>
<パソコン用>
これらのアプリを使えば、
・同じ単語が使われている他の聖書箇所
・何回その単語が使われているか
・その単語が他にどう訳されているか
などをカンタンに調べられる。一網打尽! インターネットが普及する前は、このようなヘブライ語やギリシャ語の解説は、神学校の図書館に行かなければ分からなかった。しかし、今や誰でも簡単にチェックすることができる。しかも(ほぼ)無料で。サンキューテクノロジー! もはや学校に行かなくとも、誰でもこのような情報にアクセスできる時代になったのだ。
だから、まずは自分で学んでみよう。聖書は、アナタの人生を変える。そして、読んでも、読んでも、読みまくっても、飽きない。面白い。何千年も人間が研究しても底が尽きないほど、面白いものなのだ。さぁ、あなたも、レッツバイブルスタディー!
(了)
◆このブログの筆者の小林拓馬は、現在、完全オンラインのプロテスタント教会「クラウドチャーチ」の牧仕として活動しています。
◆小林は、Podcast&YouTube「まったり聖書ラボ」でも発信中!
※この記事の聖書の言葉は、特に断りがない限り、<聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会>から引用しています。