【就活イエスNo.1】「絵は人を喜ばせられる」大鍔ひとみ@似顔絵会社勤務
今回の週刊イエスはスピンオフ
「就活イエス」
イエスを信じる人たちの「就活」、「働き方」に迫っていくインタビュー記事です。
シリーズの第一回は、大鍔ひとみさん!
Profile
名前:大鍔ひとみ(Hitomi Ohtsuba)
生まれ:1992年
最終学歴:SYME(School of Youth Ministries in English)
World of Life Bible Institue Jeju
職業:似顔絵会社勤務
- ▼パプアニューギニアでの生活
- ▼聖書学校へ ~信仰のターニングポイント~
- ▼絵が描けない?! ~スランプを乗り越えて~
- ▼絵を描くことが、神の愛への応答
- ▼一本釣りの就活 ~挫折と転機~
- ▼これから目指していること
今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ひとみちゃんの人生マジクレイジーすぎて、どこからツッコめばいいのか・・・
そうかも(笑)
似顔絵の会社に勤めてるんだよね? 普段はどんな仕事をしているの?
そう。今は本当にいろいろ。アーティスト養成コースをサポートしたり、印刷物を準備したり、出席簿をつけたり、スタンプカードを準備したり、大人のコースをサポートしたり、最近は子供にアートを教えたりしてるよ。
ひぇ~~マルチタスクゥ~。
テキトーじゃない?(笑)
実は、僕のアイコンもひとみちゃんが描いてくれたんだよね。
イスラエルにいた頃の変顔写真を見て、つい描いちゃった(笑)。
あまりにもいい出来だったので勝手に拝借しました。スンマセン。
↑ひとみさん作、宣教師のおじさんの似顔絵。力作だ!
▼パプアニューギニアでの生活
まず生まれがパプアニューギニアっていうのがもうね。
そう。両親が宣教師で、パプアニューギニアで聖書を翻訳してたんだよね。
その頃は何をして遊んだりしてたの?
意外と結構普通で、ブランコとかかな。
ブランコ(笑)
家の中にもブランコがあって、学校でもよくブランコの取り合いをしてたよ。あとは、雨が降った日は、マッドスライディングっていって、坂道を泥だらけにになりながら滑るっていう・・・私は親に禁止されてやらせてもらえなかったけど。
それ絶対楽しいやつやん。・・・いつまでパプアニューギニアに?
小学校2年生が終わるまで。その後は、青森に少しだけいて、その後はずっと北海道。高校卒業するまでいたかな。
絵は小さい頃から描いてたの?
そうだね。両親も兄弟も絵が好きだし、上手だったから。その影響もあって物心ついた時からずっと何かしらの絵は描いていたなぁ。
↑パプアニューギニアにいた頃
▼聖書学校へ ~信仰のターニングポイント~
その後の進路は?
それが、その頃はずっと日本から出て行きたくて。それでTOEFL(※英語圏に留学するための英語力テスト)を受けようとしたんだけど、買った参考書があまりにも厳しすぎて嫌になっちゃって(笑)。
難しすぎて逆にやる気なくなるみたいな。
そう。それで、いろんな人に相談したんだけど、結局自分がどうしたいか分からなくなっちゃって。そんな時に、一番上の兄と電話で話して。
お兄さんは何と?
兄が、「ひとみなぁ、人生なんてそう計画通りにいかないものなんだ。水の流れに自分を任せるように肩のちからを抜け」って。それが本当に腑に落ちて、「あ、そうか。神様が私に行ってほしいと思っている道に行きたいです」と素直に祈れるようになったんだよね。それで、祈り始めたすぐ後に、SYME((School of Youth Ministries in English)のことを知って。
SYME<エスワイエムイー>とは?
Word of Life(ワードオブライフ)っていう団体の、聖書と英語を学ぶ短期の学校。軽井沢にあるんだけどね。NHKの社員寮の跡地ですっごいいいところ。
またいいところを抑えたもんですな。
学校から浅間山がきれいに見えるよ~
↑SYME時代
SYMEには何年いたの?
元々1年のコースで、その後は大体みんなもっと本格的な聖書学校に行くんだよね。私も1年軽井沢で学んだ後、韓国のチェジュ島にある聖書学校に通ったよ。
その時期に聖書のことを学んだんだ。
そう。両親は宣教師だったから、聖書の話は知ってはいたけど、ほとんど表面的にしか読んではいなかった。SYMEに入ってから、もっと深く、本格的に聖書を読むようになったんだよね。軽井沢とチェジュ島での2年間が、私の信仰のスタート地点な気がする。初めて親元を離れて、親の信仰から自分の信仰になったというか。その頃が実は信仰のターニングポイントで、今までずっと日本から離れたいという気持ちがなくなって。
僕もそういうことあったなぁ。それはどういうきっかけで?
チェジュ島の学校のプログラムで、タイに宣教旅行に行ったんだけどね。その時に、日本がアジアでも最もイエス様のことが伝わっていない国のひとつだと知って。ずっと外国で、親の苦労する姿を見ていたから。現地の言葉を学んで、文化を知って、それから聖書翻訳をするっていう。だから、「私はなぜ日本語も日本の文化も知っているのに、海外にいるんだろう」って思って。その時から、逆に日本に対する思いを持つようになった。
その頃も絵をたくさん描いてたの?
それが、SYMEにいた頃から、絵を全く喜んで描けなくなっちゃった時期があって・・・
ええっ、そんな時があったの?!
↑この頃はTammy<タミー>と呼ばれていた。
▼絵が描けない?! ~スランプを乗り越えて~
絵が描けないってどういうこと?
理由は自分でもよく分からないんだけどね。その時も、クラスメイトの似顔絵なんかを描いていたんだけど、絵を描くのが全然楽しくなくなっちゃって。本当に不思議。自分の得意なことのはずなのに、なぜか喜んでできない。むしろ虚しさがあって。ただ楽しくなくなっちゃったっていうより、もっと深いスランプ。絵を描くのをもうやめようと思った。
えーーっ! もったいない!!
もう、絵が描けるってことを誰にも知られたくなかったくらいなんだよね。だから、軽井沢からチェジュ島の学校に移った時は、自己紹介でも全く絵のことは言わないで、ナイショにしてた。もう虚しさが苦しいし、そういう気持ちで描いてるってことも知られたくないし。韓国で新しい人間関係の中に入ったから、これはいいタイミングだと思って、絵は封印したんだよね。
でも、今は絵を描いてるよね? どうやって乗り越えたの?
やっぱり、隠そうとしても、情報っていうのはどこからか漏れ伝わるもので(笑)。どうやって伝わったか知らないけど、ある日、小学生の男の子が、「似顔絵描いてよ~」って言ってきて。私は「え~~、今そういうコンディションじゃないんだけどな・・」と思いつつ、小学生相手だったから断れなくて。
それで・・・
似顔絵を描いたら、その子がものすごく喜んでくれて。私も素直にすごく嬉しかったんだよね。その時に、「ああ、似顔絵って人を喜ばせられるんだ」って気づいた。
なるほど。似顔絵のスランプを脱したきっかけも、またその似顔絵そのものだったんだね。
↑チェジュ島の学校
▼絵を描くことが、神の愛への応答
それで、韓国の学校が終わって、日本に帰ってからは何をしてたの?
北海道に戻ってから、さぁこれからどうしようってバイトしたりしてたんだけど、やっぱり絵のことが忘れられなくて。絵に関わる仕事をしたいなぁって。そんな時に、たまたま今の会社のお店に行ったことを思い出して。
東京のお店?
そう。浅草の店舗で。その時にお店で少し話した似顔絵師さんが今の上司なんだよね(笑)。
稀有なこともあるもんや。
(笑)。で、その時にその似顔絵師さんに、「似顔絵師養成コースがあるよ」っていうのを聞いて。それが、北海道に戻ってもずっと頭に残ってたんだよね。その後もウェブサイトとかいろいろ調べていたりはして。でも、神様がその会社で働くことを私に望んでるかどうか確信が持てなかった。
どうやってそこから受験に至ったの?
実は、お世話になってる牧師さんに相談したら、「ひとみちゃん、僕たちには自由意思があるんだよ」って。「自由があることは神の愛だ。それを拒絶する自由もあるし、その愛を受け取って、愛する自由もあるんだよ」って言ってくれて。ああそうか、私は自由なんだって素直に思えたんだよね。そう考えたら、私がその神様の愛に自由に応答することは何かと思ったら、もう絵を描くことしかなかったんだよね。
ナルホド。その言葉が一歩踏み出すキッカケになったんだね。
その後、その似顔絵の会社を受けたの?
いや、英会話教室の先生をしばらくやってた。お金をためつつ、似顔絵の会社を受験する準備を進めてて。それも普通の就活とは違ってね・・・
▼一本釣りの就活 ~挫折と転機~
普通の就活とは違う?
全く違ったよ。今働いている似顔絵の会社は、まず2ヶ月間集中で「プロ養成コース」を受ける。もうひたすら課題が出て、描いて描いて描きまくる。それで、講師からレビューをもらって、また描き直す。その繰り返し。
それが終われば採用?
そんな生易しいものじゃなくて、養成コースの最終試験で成績が良ければ、その後の「特別コース」にはいれて、そこでまた課題漬け。その後でやっと正社員になるための試験を受けられるんだよね。
ひぇ~~長い道のり。他の会社は受けなかったの?
受けなかった。もうこの会社でアーティストになりたいって決めてたから。
まさに一本釣り! 会社はどういうポイントで選んだの?
3つのポイントがあって。1つはやっぱり自分がやりたいこと。私にとってはさっきも言ったように、それが絵だったから、絵に携われる会社。
2つ目は、その会社のリーダーシップがどうか。言い換えれば、社長がどんな人か。インターネットで会社の情報を集める過程で、社長のブログや講演のビデオがたくさん出て来て。それで、ああ、熱い想いを持っていて、リーダーシップに優れている人だなァって。それだけじゃなくて、私が好きな絵とスポーツ両方の経験と情熱を持っているっていう点も惹かれたかな。
へ~~。僕は最終面接の直前まで社長の名前知らなかったヨ・・・(笑)
3つ目は?
3つ目はやっぱり給料面かな。奨学金の返済もあって、それに十分な待遇を得られるっていうのは必要な条件だった。そういう意味では、この会社は好きな絵で、きちんと正社員として雇ってくれるっていう意味で、これ以上ない条件だったよ。
やっぱり背に腹はかえられないんだぜ。
↑会社の先輩と
でも、最終的にはアーティストにはならなかった?
そう。私の時は、「プロ養成コース」に15人の受講者がいて、その中の上位3位だけが次のコースに進めることになってたんだ。
え、順位をつけるの?!
そう。描いた絵が壁にはられて、自分以外の人に順位をつけていくの。講師がつける点数は価値が高いんだけどね。
そういうもんなのか。その中で3位以内に入らないといけないなんて、めちゃくちゃ狭い門だね。
そう。それで、1位から3位まで発表されたんだけど、私の名前は呼ばれなかった。
えーーっ! ちなみに何位?
気になって何位だったか聞いてみたら、4位だった・・・。
うわ~~。ギリギリ・・・。ベルギー戦くらい悔しいわ。
やっぱり悔しかったよね。小さい時から絵に関しては誰にも負けたことがなかったから。でも、私より上の3人は、やっぱりすごく上手かったし。絵って悔しいんだけど、大体この人の方が上手いとか下手とかすぐ分かっちゃうんだよね。何よりその3人は覚悟が違った。2回までしか受験できなくて、後がない人や、毎週東北から通ってくる人もいて、本気度が私と違ったなという感じ。だから、結果には納得してたかな。やっぱりプロになるっていうのは、生半可な気持ちじゃダメなんだと痛感したよ。
じゃあ、その後どうやってその会社で働くことになったの?
今の会社とは、それっきりだと思ってた。でも、その後2ヶ月ぐらいしたら、急に連絡があって。「本社で事務職として働かないか」ってオファーが来たんだよね。
縁が切れたと思ったら復活。
そう。私としては、奨学金を払い戻さないといけないし、英会話教室の仕事だけでは経済的に厳しかった。想像していたアーティストとしての仕事ではなかったけど、それでも絵に携わりながらお金を稼げるなんて、これ以上ない条件だったんだよね。ただ、英会話教室の仕事との兼ね合いもあって、1年間は非正規で働いて、その後に正社員にしてもらった。
会社に入ってからは、どんな仕事をしていたの?
まずは営業を知れっていうことで、営業部。似顔絵の受注を電話やインターネットで受けて、それを整理してアーティストさんに依頼を流していくっていう感じの仕事をしてた。店舗に来られないお客さんもいっぱいいるから。ネットとか電話とかでお問い合わせ対応をして。写真を複数枚送ってもらうんだけど、プリクラとかSNOWはダメ(笑)。
アーティスト目指していた身からすると、「ああ、自分も描きたい~~」ってならなかった?
それは意外とあんまり。仕事を覚えるの精一杯だったし。自分でちょこちょこ描いてはいたからね。
▼これから目指していること
今は子供にアートを教えているんだよね。
去年の12月から部署が変わって、教育部署になった。いろいろな仕事があるけど、子どもたちに英語でアートを教えるクラスを担当したりしているよ。子どもたちは、集中するものはものすごく集中するけど、逆にそれだけになっちゃったりして、カリキュラムを円滑を進めるのが、結構難しかったり。でも、子どもたちの目の輝きを見ていると、やってよかったなぁと思うし、アートを好きになるきっかけになってもらえたら嬉しいな。
↑ 子供のアート教室
今後もアートに携わっていく?
具体的な形は見えていないけど、絵はずっと描いてきたし、これからも描いていくつもり。友人に発信も大事だと言われて、ちょこちょこインスタに描いた絵をアップとかもしてるよ。まだまだやりはじめたばっかりだけど、フォロワーが増えたり、「いいね」がもらえたりすると、素直に自信になるよね。でも、同時に絵で生計を立てる難しさも知っているし。あとは、やっぱり神様のために直接、宣教師とか、伝道師とか、形は分からないけど、何かをしたいという気持ちもやっぱり強くあって。
正直、僕もやりたいこといっぱいあるなぁ。
やっぱり、それは日本に戻ろうと思った時から強く思っていて。今は、一生懸命働きながら、将来のことを模索している感じかな。目の前の一つひとつのステップのために祈りながら。
↑ タブレットには、今まで描いた作品がズラリ。
イエスを信じる者として働いていて、職場で何か変わったこととかあった?
うーん。何かあったかなぁ。特別なことは思いつかないけど、ある上司に「大鍔さんは一番ポジティブだよね」と言われて。自分では全くそんな自覚はなくて、むしろ落ち込んでいる時もあったんだけどね。もしかしたら、イエスさまに赦されているっていう気持ちが、自然と前向きな姿勢につながっているのかなとは思うかな。
あとは何を信じているかって話しになったときに神様の話ができるのは嬉しい。いずれは違いをもたらすんじゃないかなと。会社だけにとどまらず。その人の人生に違いをもたらすことはできるんじゃないかなって。
うーん。まさに地の塩、世の光、ですな!
テキトーじゃない?(笑)
↑ コバヤシのイチオシ作品。
最後に、ひとみちゃんイチオシの聖書の言葉を教えてください。
いつも心に覚えたい聖書の言葉が2つあるので紹介します。
詩篇16:8「私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので私は揺るがされることがありません」
箴言16:3「あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ」
いつも、自分ではなく、主権は神様にあることが分かっていたら、揺れ動くことはないっていう点で、この2つは共通点があるかなと思って。正直、常にこの言葉を覚えてそのとおり生きられるわけじゃないけど、いつも神様のもとに引き戻される言葉です。
いつも、自分ではなく、神に人生を委ねていきたいね! 今日は、お時間いただきありがとうございました。
(おわり)
◆このブログの筆者の小林拓馬は、現在、完全オンラインのプロテスタント教会「クラウドチャーチ」の牧仕として活動しています。
◆小林は、Podcast&YouTube「まったり聖書ラボ」でも発信中!
※この記事の聖書の言葉は、特に断りがない限り、<聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会>から引用しています。