「就活イエス」は、
イエスを信じる人たちの、
「就活」「働き方」に迫っていくインタビュー記事です。
シリーズ第14弾は、小口理英さん!
【Profile】
名前:小口理英(Rie Oguchi)
生まれ:1984年
出身:東京都
学歴:昭和大学医学部医学科卒業
→Berklee College of Music Professional Music Major卒業
(米バークリー音楽大学卒業)
職業:音楽家・医師
音楽事業HP:https://roguchi.wixsite.com/rieoguchi
はじめまして。今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
おそらく読者の方は、経歴を見て「えっ、説明求む」状態だと思うので、今何をなさっているのかご説明いただけますか?
そうですよね。今やっているのは音楽の会社です。ライブ、イベントの企画をしたり、CDを出したり、曲のカバーや作曲もします。
どんな曲を作るんですか?
ジャンルでいうとジャズですね。こんな感じです。
お~。すごい癒やされるような音楽ですね。ライブではご自身も演奏されるんですか。
もちろん演奏しますよ。専門はアルトサックスです。そういった興行の他に、音楽のレッスンや、「リトミック」という子供にリズムを教える教室をやったりしています。
リトミック・・・それやると音痴じゃなくなるんですか?
ははは(笑)。効果あると思いますよ!
やっておけばよかった・・・それと、もうひとつ気になるのは「医師」という方ですが・・・
音楽の仕事を本格的にやる前は、麻酔科医として働いていました。実は今もアルバイトとしてやっていますよ。
え! 麻酔科医ってアルバイトなんてあるんですか。
結構あるんですよ。病院によっては毎日手術をしないところもあったり、お医者さんが少数しかいないところもあって、そういったところは常駐の麻酔科医がいないんです。そういう病院から、手術をやる時に結構需要があるんです。
ナルホド・・・音楽家と医師という2つの職業を両立している方って、ものすごく珍しいと思います。今日はたっぷりお話聞かせてください!
▼医学部で初めてサックスを吹いた?!
↑ 研修医時代
音楽をはじめたキッカケは何だったんですか?
小さい頃から、ずっとピアノは習っていました。クラシック。でも、ずっと自分はピアノのセンスがないと思っていました。自分より上手な人はいくらでもいるし、自分の演奏に満足できてなかったんです。音楽は好きだけど、これは趣味なんだろうなと思ってました。
最初はサックスじゃなかったんですね。
アルトサックスに出会ったのは18歳のときですね。
え?! 18歳?
そうですね。医学部に入って、音楽サークルの見学に行ったんです。ビックバンドって言って、ジャズのバンド形式のひとつなんですけど。音楽は好きだったので、見に行ってみたんですね。その時、アルトサックスを持った瞬間に「これ、吹けるかも」と思ったんです。
つまり、大学に入って初めてサックスを吹いて、プロになっちゃったんですか?!
そういうことになりますね。そこからは、毎日、地道な練習の繰り返し。毎日1フレーズずつ反復練習を重ねる毎日でした。実は、音楽の練習って、勉強と似てるんです。英単語を毎日1単語覚えるみたいに、毎日1フレーズずつ繰り返し、繰り返し覚えていく。そうしていくと、だんだんと曲が演奏できるようになってくるんです。
スゲー! 飽き性のワタシにはとてもできません!(笑)医大に行った人に聞くのも野暮ですが、勉強は好きだったんですか?
勉強は好きでしたね。コツコツ何かを積み重ねるのは、昔から好きでした。音楽家の仲間の中には、普段の地味な練習が嫌いという人もいるんですけど、私は嫌じゃないんです。そこは勉強の習慣が役に立ったんだと思います。
勉強ができたから、医大に行こうと?
今思えばそれはプライドですよね。ある程度成績が良くて、理系コースだったら、先生や親や周辺が「医者になれば?」と勧めるじゃないですか。
あるあるですよね。
例にもれず、私の場合もそうでした。周りも勧めるし、親の期待もあるし、自分は当然医者を目指すんだと思ってました。それで、現役で医大に受かって、医者になるレールに乗っていました。
まさかその医大で、アルトサックスに出会ってしまうとは・・・運命ですね。
そうなんです。そこから、「音楽」と「医師」という2つの道で悩むようになりました・・・。
▼研修医から音楽大学へ
医大を卒業した後はどうしたんですか?
卒業した後は、2年間「研修医」として働きました。
研修医! 「ブラックジャックによろしく」で読みました・・・大変そうですね。
医者としての仕事は楽しかったですよ。ただ、めちゃめちゃ忙しいんです。一週間、ずっと病院にいるような生活でした。その当時はクリスチャンではなかったので、別に日曜日教会に行きたいという悩みはなかったんですが、単純に忙しかったです。
音楽は続けていたんですか?
続けていました。研修医をやりながら、空いた時間でライブ活動をしたりしてました。DJさんと一緒にライブハウスでサックスを演奏したり・・・
めちゃめちゃ忙しい中で、音楽も研修医も両立するって・・・体力オバケですね。
研修医も楽しかったんですが、音楽をやるためには1人の時間が足りませんでした。音楽って、演奏して、フィードバックして、その反省を活かしてまた練習して・・・っていう作業の繰り返しなんですね。1人になる時間が必要なんです。でも、仕事が忙しすぎてそんな時間ありませんでした。
そのあたりから、音楽と医師の2つの道で悩むようになったと。
そうですね。私の中では「やっぱり音楽がやりたい」という気持ちがあったので、音楽大学への進学を考え始めました。そんな時に、アメリカ・ボストンの「バークリー音楽大学」の入学オーディションが東京であると知って「申し込むしかない」と思って、申し込みました。実は、それを知ったのは本番の1週間前だったんですよね(笑)
なんと!! オーディションの1週間前?! 申し込みよく間に合いましたね。
本当に。申し込みも締め切り前日とかのギリギリでした。しかも、音楽業界では申込みに「推薦状」を書いてもらうのが当たり前なんですが、当然そんな常識も知らずに応募したんです。推薦状ゼロ枚状態で(笑)
推薦状ゼロ枚状態で、ギリギリに応募して、本番1週間前で・・・!!!
でも、そんな状態で受験したんですが、合格しました。奨学生にも選ばれたので、奨学金もゲットできたんです。
えーーっ! すごい!! 大学からはじめて、音大の奨学生に受かるって並大抵じゃないですね・・・
今思うと、「そこしかない!」というタイミング。神様の計らいだったと思います。
↑ 大学のバンドで活躍。映画「セッション」のよう?
それですぐ留学したんですね。
タイミングよく2年間の研修医を終えていたので、問題なく留学できました。ただ、親には音楽の道に行くのを反対されました。せっかく医者になれるのに、って。なので、お金は自分で工面しました。
でも、研修医のお給料って厳しいんではないですか?(ブラックジャックによろしくの知識)
そうですね。奨学金をもらったとはいえ、アメリカの大学の学費ってものすごく高いんですよね。持っているだけでは足りなかったので、ローンを組みました。そのローンも、私が医者じゃなかったら組めなかったので、それまでの道は全く無駄ではなかったと思います。
ナルホド。医師免許をゲットしたからこそ、音大への道が拓けたんですね。
ただ、アメリカにいる間は、本当に本当に貧乏でした。お金がなかったので、ストリートでサックスを吹いて、投げ銭をもらって生活費にしていました。
1日どのぐらい稼げるんですか?
日によってバラつきあるんですけど、少なくても15ドルぐらいですね。アメリカにいる間は、毎日お腹がすいていたのを覚えてます。
▼音楽と医師の道の間で揺れて・・・
↑ ストリート演奏でお金を集めた
アメリカの大学生活はどうでしたか?
英語は元々できたので、その面では苦労しませんでした。逆に、人間関係、特に日本人との人間関係で苦労しました。
英語できたんですか?
高校時代に、イギリスに3週間ほど留学したんですよね。その時、現地の人とコミュニケーションが取れないのが悔しくて、2日徹夜で英語の本を読みふけりました。それから、「自分がこう言ったら、相手はこう返してくるだろう、それに対してはこう返答しよう」という会話のシュミレーションをしていました。その期間で、ある意味のブレイクスルーみたいなものがあって、英語ができるようになりましたね。
・・・(只者じゃねぇ・・・)!!!
なので、アメリカ時代も、英語では苦労しませんでした。でもその分、現地の人とのつながりが深くなって、日本人の友人とうまくいきませんでした。深くお互いの心を分かち合ったり、支え合える人もいなかったんですね。それが私にとっては辛くて。現地の人と仲良くしている分、日本人とは、ふとしたことからすれ違いがあったり、嫌な思いをすることもありました。
なるほど、僕も海外にいた経験がありますが、海外にいる時に日本人とどう関わるかって意外と大きいですよね。
そうですね。日本人との関係で悩んでいた頃、たまたまクリスチャンの日本人の友達がいて。彼女は日本にいたんですけど、相談したところ、毎日聖書の言葉を送ってくれたんですよね。当時、私はクリスチャンではなかったんですが、嬉しかったですね。日本人に応援してもらっているんだという感覚になりました。彼女の励ましで、自分の音楽を貫こうと思えるようになりました。
それは心強いですね。
帰国してからはどうしたんですか?
2014年に日本に帰国しました。その後は、2年間麻酔科医として、病院で勤務しました。フルタイムで。
音大を出て、また医者の道に戻ったんですね。
そうですね。自分の中では音楽をやりたいという気持ちはあったんですけど、「医者なのに、音楽をやるなんてどうなんだろう」という感覚も当時はありました。もちろん、周囲と話しても「音楽は趣味なんでしょう?」とか「いつ医者に専念するの?」と言われる方が圧倒的に多かったんですね。
音楽と医者を天秤にかけると、日本の常識ではそういう感覚があるのは分かりますね・・・どうしても医者の方が安定しているふうに見えるというか。
医者として生きるのか。音楽で生きるのか。私にとってはいつも悩んでいたことでした。社会的に認められて、安定して食べていけるのはもちろん医師の道。だけど、自分が心から楽しんでできるのは音楽。どちらか一つ選ばなきゃいけないと、ずっと思っていました。
究極の2択ですね・・・
次第にその気持は、「音楽をやっちゃいけないのではないか」という思いに変わっていきました。音楽を諦めれば、医師として生きていける。自分は音楽をしちゃいけないのかもしれない・・・。そう思うようになっていました。
ナルホド。悩むうちに、音楽をやること自体がダメだと感じてしまっていたんですね。
その時は、医者として生きるのが、ものすごくストレスでした。今思えば、それは「導き」ではなかったからだと思います。神様が備えている方向ではない方に向かっているから、心のどこかでそれが分かっていて辛い。ストレスになる。
「導き」ではない方向に行くと、ストレスになる・・・確かにそうかもしれませんね。僕も心当たりあります。
私にとって、受験勉強も音楽の勉強・練習も苦じゃなかったんですね。それはなぜかと考えたときに、「音楽が導きだからだ」と素直に思えるようになったんですね。
どうして、その迷いから脱出できたんですか?
私にとって、音楽と医者の道で迷ったことと、自分の信仰は切り離せないことなんです。それは・・・
▼「神の子ども」というアイデンティティ
↑ 教会のインドの支部で
日本に帰ってきて、友達が「教会に遊びにおいでよ」と誘ってくれたんですね。私は日曜日は仕事で行けなかったので、別の日にやっている「アルファコース」という勉強会に参加しました。たまたま、その曜日だけ定時で上がれる日だったので、参加できました。
どういうふうに誘われたんですか?
バイリンガルで聖書の話ができるよ~みたいな感じだったと思います。ずっとクリスチャン系の学校に通っていたので、クリスチャン系の集まりに抵抗はそれほどありませんでした。むしろ馴染みがありました。でも、その集まりに行ったとき、初対面の人に「愛とは何だと思いますか」と聞かれて。「初対面なのに、“愛”とか語っちゃうの?!」とビックリしたのを覚えています。
初対面で愛とか語っちゃうの、ウケますね(笑)
最初はビックリしましたけど、教会の礼拝でも、ピアノを弾かせてもらうことになったんですね。だんだんと、教会の集まりが、自分にとって「音楽ができる居場所」になっていったんです。それがキッカケで教会に行く機会が増えました。その時は、医師としてフルタイムで働いていて、まるで自分が音楽をやってはいけないと言われている気持ちになっていました。誰にも推薦状も貰えず、親にも応援してもらえず、寂しかったんです。自分は音楽をやってはダメなのかなって思っていました。
そんなときに、教会で音楽ができた。
そうですね。「音楽をやっていい」と言われたような気がしました。そんな時、2015年ですけど、教会のパスター(牧師)から「バプテスマを受けないか?」と聞かれたんです。
お~。なんて答えたんですか?
自分としては、まだまだ聖書などの勉強が必要だと思っていたので、まだ先かなぁと思っていたんですね。しかも、牧師の提案は一週後の集まりでバプテスマを受けないかというものでした。「えっ、そんなにすぐ?」とは思って。
オーディションの時もそうですが、いつも急転直下なんですね(笑)
そうなんです(笑)。でも、自分のアイデンティティを考えて、答えが出ました。私はずっと「医者」か「音楽」かって考えていたんです。それで迷っていたんです。でも、本当に大事なのは「神の子どもとして生きる」ってことだと思ったんですね。
なるほど! イエスを信じる「神の子ども」というアイデンティティに出会ったわけですね。
そう思った時に、解放された気がしました。「自分はクリスチャンです」と堂々と言いたいなという気持ちもありました。それで、バプテスマを受ける決心をしました。2015年のゴールデンウィークのときですね。
どこでバプテスマ受けたんですか?
ディズニーランドのそばの、葛西臨海公園です。たまたまそこでキャンプをしたので(笑)私の教会で葛西臨海公園でバプテスマをやったのはその時だけなんですよ(笑)
イエスを信じた後で、変わったことはどんなところですか?
それまでは、基本的にネガティブでした。周りの人にどう思われるかが、すごく気になっていました。その上、周りの人は自分のことを否定的に見ているのではないかという不安、恐れがいつもありました。でも、イエスを信じてから「人からどう見られるかを基準にするのではなく、神がどう見るかという目線で決める!」と思えるようになりました。それからは、人生楽になりましたね。
分かります。僕もそうですね。イエスを信じたら、人の目が気にならなくなって、大胆に生きられるようになりました。
▼両方やっていいんだ!
↑ トライアスロンの救護班としても活動
信じた後は、仕事はどうしたんですか?
2015年にバプテスマを受けて、その年のうちに務めていた病院を辞めました。実は、一定期間病院に勤務すると、「標榜医」(ひょうぼうい)という厚労省の資格と、「認定医」という医師会の資格が取れるんです。この両方の資格がないと、独立しようと思っても、なかなか難しいんですね。私の場合は、両方の資格が取れたので、次のステップに進むことができました。
次のステップというのは、今のように音楽と医師と両輪で働くっていうことですか。
そうですね。元々、「音楽」か「医師」かどちらか一方しかできないと思い込んで、悩んでいたんですね。でも、お世話になったパスター(牧師)の働き方がとても参考になりました。
と、いいますと?
パスターは職業としては「国際弁護士」をやっていたんです。彼の意見は「お金のために牧師をやってはいかん」というものでした。「何かミニストリー(クリスチャンの働き)をするのであれば、それとは別に生活のための仕事があった方が良い」というのが、彼の主張でした。現に、彼は国際弁護士として生活費を稼いで、そのお金で世界中を飛び回って、聖書のこと、神のこと、イエスのことを伝える働きをしています。
すごく共感します! 僕も、この時代、職業は一つだけという考えに囚われずにやった方がいいと思います。特に牧師だけじゃ食べていけませんから。
私は彼の生き様を見たときに、「両方やっていいんだ!」と思えたんですね。ずっと「いつ医者に戻るの?」とか、「中途半端」とか言われるのが怖くて、悩んでいました。そんな私にとって、「どっちもやっていんだ」と思えたのは、ある意味パラダイムシフトでした。その時に、「せっかく医者という資格を持っているんだから、それを活用して働きながら、音楽も同時にやっていこう」と思えるようになったんですね。
ナルホド。医師の資格を最大限活用した上で、音楽もやっていくと。
はい。それで、2016年から今のような活動をはじめて、会社は2017年に立ち上げました。今は、本当に自分のライフスタイルに合った働き方ができていると思います。週に1~2回、麻酔科医として働いて、残りの時間は音楽の活動に充てられています。医師の仕事があるから、最低限の生活費、音楽活動の資金、時間、場所を確保できているっていう形ですね。
最高の働き方ですね。
▼人を助けて、音楽を奏でる
↑ 現在は医療と音楽の2つの道で活躍している
「音楽」と「医師」を両輪でやるようになって、フルタイムの医師の時と、気持ちは変わりましたか?
気持ちにも余裕が出てきました。フルタイムの医師として働いていた時は、とにかく忙しくて・・・患者さんが来ても「また来たよ」とか思ってしまう時もあったんですね。
分かります。僕も記者なので、なにか事件や政治の動きがあると「またかよ」と思ってしまう時ありますね。
それは本当に良くないと思んですね。本来、患者さんのためにやっている仕事なのに、人を助ける仕事なのに、助けを必要としている人を見て「また来たよ」と思ってしまう自分が嫌でした。感謝がなくなった仕事はしたくない、っていう強い思いは常にありました。
すごい・・・(私はそんな高尚な思いがない・・・)。
でも今は、時間も資金も場所も、音楽の仕事も全て与えられているんです。神に感謝しかありません。また、派遣されて病院に行くと、病院に勤務していた時より感謝してもらえるんですね。「来てくださってありがとうございます!」といった感じで。それを通して、自分が今与えられている環境も、当たり前じゃないって気が付きました。自分も人に感謝しようって改めて思えるようになりましたね。
すごい・・・(私はそんな高尚・・・略)。
あと、ひもじい時って、寂しい曲しか出てこないんですよ(笑)。おなかすいちゃってるので(笑)。そんな状態だと、どうやって人を愛する歌なんか作れるんだ! っていうような思いにもなりますし、何より歌えないんですね。
「お腹が空いてると寂しい曲しか出てこない」っていうのはリアルすぎまる・・・切実な思いですね(笑)
医者として人を助けて、それで得た糧で音楽を奏でるっていうのが今のスタイルになってます。それが、自分にも合っているって感じますね。
理英さんの今後のビジョンを教えて下さい。
音楽としては、今は日本を中心に活動していますが、ゆくゆくは世界に焦点を持っていきたいと思っています。世界に作曲する人は大勢いるので、その中で競い合って、認められるように競争を勝ち抜いていきたいと思っています。認められないと、曲を作っても聞いてもらえないので。
世界に通用する曲作りですか・・・
そういうコンペティション(競争)の中で通用する音楽を作りたいと思っています。かつては、自分は「演奏者」と思っていたんですが、今は「作曲者」でもあると思っています。曲を作れば、自分ではない他の人が演奏しても、その音楽は広がると気がついたんです。演奏者によって表現も違うので、同じ曲でも多様性が出るなと。自分が作った曲が色々な形で演奏され、歌われるようになりたいと思っています。
ありがとうございます。最後に、いつも握っている聖書の言葉を教えて下さい。
マタイ7章ですね。
求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。
今までの道も、不思議なタイミング、不思議な備えで、神様がひらいてきてくださいました。これからも、神様に求め続けたいと思います。
りえさんの今後の道も、神様によって拓かれていきますように!!
(おわり)
◆このブログの筆者の小林拓馬は、現在、完全オンラインのプロテスタント教会「クラウドチャーチ」の牧仕として活動しています。