週刊イエス

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ここがヘンだよキリスト教!(イエスを愛する者のブログ) ※毎週水曜日更新予定※

【旅行記】イスラエルで見た聖書<ナザレ村>

イスラエルに一度足を踏み入れてみてください。聖書の世界がビビットになりますよ。

 

▼なぜイスラエル

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 読者のみなさんは、イスラエルに行った経験はあるだろうか。イスラエルに行く前と後では、聖書の読み方が変わる。イスラエルには、聖書にある地名がそのまま残っている。読み飛ばしていた片仮名の地名が、目につくようになる。その情景、温度、空気、匂い、地理感覚が分かるようになる。曖昧模糊だった聖書の世界が、ビビットになる。まだイスラエルに足を踏み入れていない方には、ぜひその一歩を踏み出すよう、オススメしたい(実は飛行機、10万円前後で行ける)。

 先週、私は1週間ほどイスラエルに旅行に行った。1年の留学をしていた頃から、実に5年ぶりだったが、やはり何度行っても面白い。今回は、新たなに訪れた「ナザレ村」について書く。

 

 

▼ナザレ村って一体何?!

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 ナザレというと、キリスト教をかじったことがある人は、ナザレのイエスというフレーズを思い出すだろう。そう、ナザレとはイエスの出身地である。あれ? 生まれたのはベツレヘムでは? と思う人がいるかもしれないが、生まれた町と「出身地」は違う。例えば、私は、長野県立科町で生またが、幼少期に育ったのは同県小谷村。現在、実家は東御市というところにある。同じようにイエスベツレヘムで生まれたが、実は幼少期をエジプトで過ごし、その後、家族とともにナザレに住んだ。イエスは生涯の大半をこのナザレで過ごしたのであろう。当時は名字はなかったため、「どこどこの誰々」というのが通称だった。さしずめ「ナザレ村のイエスさん」ということであろう。

 このナザレという町、今でも存在する。イスラエルの北部に位置する町だ。実は、今はアラブ人の町となっていて、8万人ほどが住んでいる、ムスリムもいれば、クリスチャンもいる、比較的多様な町である。

 ナザレの中心部から10分ほど歩いたところに、「ナザレ村」という場所がある。え? ナザレが2つあるの? そういうことではない。1世紀頃、ちょうどイエスがこのナザレにいた頃を再現した、いわば「博物館」のようなものだ。このナザレ村、今回始めて訪れたのだが、驚くほど聖書、キリスト教のエッセンスが詰まっている。いくつか、面白かったものを紹介しよう。

 

 

▼ロバの道 〜ナビとしてのロバの存在〜

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 ナザレ村に入ると、まずロバたちが出迎えてくれる。

 ナザレに限らず、イスラエルは山の斜面の上に町が建てられていることが多い。エルサレムやハイファも、山の町だ。車で行くと、細い坂道ばかりで、「なんでこんなところに道を作ろうと思ったの?!」と不思議になる。実は、ロバが道を作ったのである。

 そのような山の町々は、古代から建てられていた場合が多い。その際に、欠かせなかったのはロバだった。ロバは、本能的に山の斜面で、登りやすく、一番合理的な道を見つけ出す名人だ。いわば、ロバはその時代の「グーグルマップ」だった。人々は、ロバに導かれ、山の上に町を作ったのであった。

 ロバが道案内をしたという、面白い記述が民数記22章にある。説明を聞きながら、その情景を思い出した。バラムという預言者が、バラクという王様(ややこしい。私は「オバマが王様」と覚えている)に、イスラエルの民を呪ってほしいと依頼される。はじめは断っていたが、贈り物など、次々と好条件を出された預言者バラムは、ついにロバに乗ってバラク王に会いに行く。その道中で、ロバは神の使いが道をふさいでいるのを見て、止まろうとする。神の使いが見えなかった預言者バラムは、「なぜ行かないのか」とロバを叩く。するとロバが喋りだし、「なぜ私を打つのですか」と叫ぶ。その後で、神がバラムの目を開き、バラムはロバが正しく、自分が間違っていたことを知る。そんなストーリーである。そのようなエピソードは、きっとロバが人の道案内をするという常識から生まれたのであろう。他にも、イエスがロバの子に乗って、エルサレムに入場する象徴的なシーンなど、ロバは何回か聖書に登場する重要な動物である。

 

 少し進むと、今度は羊たちと出会う。

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 羊は、聖書の中で最も言及が多い動物ではないだろうか。よく、エスは「羊飼い」に、信者たちは「羊」に例えられる。羊は、目が悪い動物だ。ほとんど見えない。盲目である。その代り、耳が発達していて、よく聞こえる。イエスは、こういうたとえ話をしている。

 

あなたがたは信じません。あなたがたがわたしの羊の群れに属していないからです。わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。

ヨハネ福音書 10:26~27)

 エスは、自分の教えに従う人々を、羊飼いの声に従う羊になぞらえた。そのとおり、羊は目が見えない弱い動物だが、羊飼いの声を聞き分けられるのだ。良い羊は、羊飼いのそばにいることが一番安全だと知っているのである。他の人間が声マネをしても、ついていかないというから驚きである。

 また、聖書の中の「詩篇」にはこんな台詞もある。

 

主(神)は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われます。(中略)たとえ、死の陰の谷を歩むとしても、私はわざわいを恐れません。あなたが、ともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖。それが私の慰めです。

詩篇 23:1~4)

 なるほど、イエスはこの詩篇の記述を念頭に、先のたとえ話をしたのかもしれない。

 しかし、ひとつ疑問がある。「ムチと杖」が慰めとはどういうことだろうか。まさか、これを歌った詩篇の作者に「Mの気」があったわけではあるまい。この疑問は、羊飼いがどのように羊を導き、守ったかを知ればすぐに解決する。

 羊は目が見えない。では、羊飼いはどうしたかというと、道からそれそうになった羊を、杖をつかって矯正し、正しい道に導いたのだ。杖は、羊を正しい道に導き、崖から落ちないように守った道具だった。

 ムチはどうだろうか。ムチは、羊を襲う動物を追い払うための道具だった。敵を追い払い、羊を守るムチ。危険から守ってくれるムチは慰めであった。なるほど、しっくりくる。

 

 ナザレ村には、残念ながらヤギはいない。なぜなら、ヤギは言うことを聞かず、飼うのが難しいからだそうだ。エスが従順な人を「羊」に、強情な人を「ヤギ」にたとえた話を思い出す。

 他にも、動物を使ったたとえ話は枚挙にいとまがない。ロバや羊などの動物は、この時代の人たちの生活に、密接に関わる動物だった。聖書の中で何度も登場するのは、その時代の人々にとって、とても身近な、イメージしやすい存在だったからである。現代の私たちは、聖書をより深く理解するために、その動物の特徴や性格をよく知り、学ぶ必要がある。

 

 さて、町といっても、当時のナザレは数百人が住む小さな村だったと考えられている。そんな小さな村で、人々は何をしていたのだろうか。

 

 

▼ワイン踏み場と物見やぐら 〜イエスのたとえ話のリアリティ〜

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 羊とバイバイすると、大きな岩場が見えてくる。実は、この岩、1世紀の「ワイン・プレス」の遺跡なのだという。ワイン・プレスとは、「ぶどう踏み場」とも訳せばよいだろうか。ぶどうの実を収穫し、それを足で踏みつけて、ワインを作るための果汁をしぼるための場所である。1世紀は機械などもちろんないので、岩場にくぼみを作り、人の足で踏みつけて果汁を採っていた。

 その隣には、ワインづくりを見守る「物見やぐら」がある。当時の人々にとってはワインは、水と同じくらい大切なものだった。日常的に飲んでいたと考えられている。聖書の中でも、「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のために、少量のぶどう酒を用いなさい」(テモテへの手紙第一 5:23)と書いてあるくらいだ。

 そのワインづくりを見守り、泥棒や野生の動物から、ぶどうを守る役目を担っていたのが、「見張り人」であった。彼らは、交代で「物見やぐら」にのぼり、ぶどう畑や、ぶどう踏み場を監視していたのだった。

 ナザレ村にある畑は、ぶどう踏み場の遺跡以外は再建したレプリカだ。しかし、当時の様子をイメージするのに役立つ。イエスのたとえ話でも、このような記述がある。

 

それからイエスは、たとえで彼らに話始められた。「ある人がぶどう園を造った。垣根を巡らし、踏み場を掘り、見張りやぐらを建て、それを農夫たちに貸して旅に出た。収穫の時になったので、ぶどう園の収穫の一部を受け取るため、農夫たちのところにしもべを遣わした・・・

(マルコの福音書 12:1~2)

 垣根、踏み場、見張りやぐら。全て、ワインづくりに欠かせない、当たり前の畑の風景だった。なるほど、こうして見ると、エスのたとえ話は、いかに当時の人たちの生活になじんだものだったのかが分かる。エスは、実際に自分が目にしたもの、じっと見つめ、自分の手で触ったもの、体験したものを中心に、ストーリーを組み立てていったのであろう。

 

 

▼コミュニティセンターとしてのシナゴーグ

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 さらに奥に進んでいくと、ひとつの建物がある。シナゴーグだ。日本語の聖書では、「会堂」と翻訳されている。ヘブライ語では「ベイト・ハ・クネセト」という。

 ナザレ村にあるシナゴーグは、そんなに大きくない。バスケットコートの半分くらいの広さだ。このシナゴーグは、今日のように土曜日(安息日)の集会にも使われたが、それ以外にも、教育や裁判など、地域のあらゆる行事のために使われていた。いわば、コミュニティセンターのような役目を担っていたのだ。

 イエス自身も、このコミュニティセンターとしてのシナゴーグで何度も教えた。山上の説教などが有名だが、実はイエスはほとんどの教えをこのシナゴーグで行ったと考えられている。パウロなど使徒たちも、基本的にはこのシナゴーグで教えていた。

 写真にある巻物は、イエスが読んだある箇所を想起させる。この場所である。

 

それからイエスはご自分が育ったナザレに行き、いつもしているとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その巻物を開いて、こう書いてある箇所に目を留められた。「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために」イエスは巻物を巻き、係りの者に渡して座られた。会堂にいた皆の目はイエスに注がれていた。イエスは人々に向かって話し始められた。「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました」人々はみなイエスをほめ、その口から出てくる恵みのことばに驚いて、「この人はヨセフの子ではないか」と言った。

(ルカの福音書 4:16~22)

 

 イエスが読んだのは、旧約聖書の「イザヤ書」の61章の記述である。イエスは、土曜日(安息日)にこの聖書の巻物を皆の前で読み、「私が旧約聖書で預言されていたメシア(救い主)である」と宣言したのであった。

 ナザレの人々は、「これは素晴らしい教えだ」と最初は受け入れた。しかし、イエスがすぐ後に、ユダヤ人だけでなく、外国人にも神の恵みがあると言い始めた途端、ナザレの人々は怒り、イエスを殺そうとした。「崖から突き落とそうとした」とルカの福音書4章にある記述は、当時よくある処刑のスタイルだったらしい。両手を縛って、逆さにして頭を打ちつけるように落とす。崖といっても、身長より少し高いくらいの低い崖だったようだ。それでも死なない場合、上から岩を落としてトドメをさす。これがいわゆる「石打ち」である。この説明を聞くまで、いくつもの石を投げつけて殺すのかと思っていたので、少しイメージが変わった。

 イエスは、彼らからどうにかして逃れて、ガリラヤ湖畔のカペナウムという村に行った。そこで、またシナゴーグに入って人々を教えたのであった。今回の旅では、ナザレからガリラヤ湖まで運転したのだが、意外に遠くて、1時間弱かかった。その道を歩いていくのは、結構な労力だったであろう。

 

 また、このシナゴーグの天井を見ると、いわゆる「からぶき屋根」になっている。

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  イエスがカペナウムという町の家にいたとき、群衆が押し寄せて、あまりの人の多さに入れなかったため、人々が屋根をはがして病人をイエスのもとに吊り降ろしたという有名な話がある(マルコの福音書2章)。日本の瓦屋根の常識からいうと、「屋根をはがすなんてえらいこっちゃ!」と思うのだが、この当時の屋根は、このような「からぶき屋根」で、土とワラを混ぜて作ったようなものだった。イスラエルは乾燥地帯だが、秋から冬にかけては雨も降るので、土が固まって、いい屋根になるのだそうだ。このような福音書の記述も、当時の常識で考えないと、深い理解ができないのかもしれない。

 

 

▼オリーブ搾り機 〜3度祈る意味〜

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 イエスは、「良い麦と毒麦」のたとえ話もしている。良い麦に毒麦が混ざってしまったので、収穫の時まで待てという話である。これは、世の終わりを示したたとえ話である。

 毒麦と良い麦は、成長しないと違いがわからない。写真の手前が、実がなる良い麦。奥の茶色いのが毒麦だ。良い麦は、実を結ぶと、その重さで頭を垂れる。実を結ぶと、おのずと頭を垂れて、謙遜な姿になることの証とされている。早稲田のシンボルマークもそんなような意味だったような・・・(笑)。

 

 さて、ナザレ村の奥の方に、作業場がある。作業場の隅には、私が個人的に一番印象的だったものがある。オリーブ絞り機だ。

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 この機械の奥に、オリーブを袋につめて置く。オリーブは一気に絞るのではなく、重さを変えつつ、3回に渡って絞るという。面白い。

 1度目は、優しく、少ない力で絞る。このとき採れる油は、とても上質な油。イエスが女性に油を注がれたシーンがあるが、その時の油である。イスラエルでは、王様に任命する際に、この油を頭から注ぐ習慣があった。そのような儀式で使う油が1つ目の油である。

 2度目は、手前の3つの重りをつけて、ある程度の負荷をかけて絞る。その時採れた油は、食用の油になる。オリーブオイルは、当時の生活にはなくてはならないものだった。

 3度目、最後は、もっと重りを重くして、かなりの力をかけて絞る。オリーブはカスカスになっているが、まだまだ油は絞れる。このときの油は、イメージするような輝く緑色ではなく、赤黒い色をしているという。この油は、灯りをともす燃料の油になる。イエスのたとえ話でも、この油を持って花婿が来るのを待っていた侍女たちが登場する(マタイ25章)。

 

 面白いのが、この3度という回数だ。イエスは、ゲッセマネの園で、神に3回祈った。十字架で死ぬことから免れるよう、祈っていたのである。3度目に祈ったときに、血のような汗が流れたと聖書に記述がある。オリーブを3度目に絞るときは、赤黒い油が採れるというから、興味深い。しかも、ゲッセマネという単語は、「オリーブ絞り機」(ガット・シュムニームという単語が由来だというから、さらに面白い。

 実は、この3度という数字は、聖書では大切な意味がある。何度も登場する。ペテロは、イエス3度「知らない」と言った。イエスは、ペテロに3度「わたしを愛するか」と聞いた。パウロは「自分のとげ」を取り去ってくださいと神に3度願った。ペテロは3回ユダヤ人が食べてはいけない食物を入れた風呂敷が下がってくる幻を見た。サムエルは3回神様からの呼びかけを聞いた。ルツはナオミに3回「帰りなさい」と言われたが拒んだ。ユダヤ人は3回まで他人の間違いを許せと言われていた、などなど・・・。3回という数字は、聖書の中にたくさん出てくる。

 この3回という回数が、数学的な量を表す3回なのか、それとも聖書でよくある、ある一定の「繰り返し・段階」を意味する、意味合い、象徴としての3回なのか。これについては、様々意見がある。しかし、このように当時の文化の中にあった3回という数字を、聖書の中の数字と関連付けて考えてみると、興味深い事実がたくさん見えてくる。

 

 

ミニストリーとしてのナザレ村

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 このように、「ナザレ村」では、1世紀当時の暮らしを、耳で聞いて、目の前でじっと見て、触って、体験することができる。ただ、このナザレ村、イスラエルにある他の博物館とは少し、毛色が違う。ガイドのお姉さんが、最後にこんな台詞を言っていたのが印象的だ。

 

この「ナザレ村」は、ただの博物館としてやっているわけではありません。ビジネスでもありません。これは、ミニストリーとしてやっているのです。 〜ナザレ村のお姉さん〜

 

 ミニストリーというのは、イエスのことを少しでも伝えたい、という思いからなされる様々な活動のことを指す。このナザレ村の目的は、1世紀の暮らしをそのまま伝えることではなく、聖書をより深く理解して体験するため、なのだ。ゆえに、ナザレ村の多くがレプリカであり、本物の遺跡ではない。本物なのは、ぶどう踏み場と動植物だけだ。あとは、体験のためのレプリカである。正直、ビジネスとしての博物館的なクオリティを期待していくと、物足りないかもしれない。しかし、ガイドの解説は、他のどこよりも聖書の記述に基づいている。ひとつひとつは細かいことかもしれない。しかし、聖書の細かなニュアンスが、よく分かるようになる。だから、「ミニストリー」という言葉がしっくりくる。

 聖書の世界を、耳で聞いて、実際にじっと目で見て、自分の手で触って、体験できる。そんなナザレ村に、ぜひ足を運んでみてはどうだろうか。

 

www.tripadvisor.jp

 

(了)

 

このブログの筆者の小林拓馬は、現在、完全オンラインのプロテスタント教会クラウドチャーチ」の牧仕として活動しています。

www.cloudchurch-japan.com

 

◆小林は、Podcast&YouTube「まったり聖書ラボ」でも発信中!

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※この記事の聖書の言葉は、特に断りがない限り、<聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会>から引用しています。